9/03/2019

東八道路(1) 1957年三鷹

キンシオの番組でたびたび出てくるのが東八道路だけれど、
あれはいつからできたのだろう?と思い出してみた。
これは1957年の三鷹の航空写真
この写真には東八道路はまだ見えない。
1957年というと小学校(6小)に入ったころだ。
だからその頃住んでいた家はまだ写真に見える。

家の南側は長屋だった。
長屋は2つに分かれていて真ん中に切れ目があって、そこに井戸があった。
よくそこで住人の人が洗い物をしていたのを覚えている。

長屋の右側は串田アパートと言ったと思う。当時親戚の兼雄さんが住んでいた。
アパートは木造の3回建てで兼雄さんが住んでいたのは屋根裏みたいな造りの
一番上の部屋だった。
アパートには大家さんだろうかおばさんがいて、武智豊子に似た感じの人だった。
そのアパートの南側は友達のトッチンの家だった。たぶん今もそこにあるはず。
だいぶ前に行ったら立派な大きな一軒家になっていた。

左上は六小。まえにもかいた小川がそこから右下に向かって流れている。
そこを左右に突っ切っているちょっと広めの道路はこの頃は砂利道だった。

六小の下の交差点の第二象限のところは友達の家だった。
広い庭があって、カンナの花が垣根のように生えていた。
六小の左側は工場。確か山水電気の工場だった。