箱根に初めて行ったのはいつだったろう?
思い出せない。
思い出せないくらいつまらなかったのかもしれない。
今回初めて札幌芸術の森美術館に行った。
旅行の最終日でその日に羽田に帰る日だった。
朝ゲストハウスを出て(誰もいなかったのでお別れの挨拶もできなかった)
大通り公園駅に出てロッカーにバッグを押し込んで、
そのまま南北線で真駒内まで乗った。
たぶん南北線で真駒内までというのは初めてだと思う。
真駒内駅からバスで芸術の森まで乗る。
この道は車で支笏湖に向かう道で、100回以上は走っていたはず。
その頃は家がまばらに建っているだけだった。
しかし、今は家が立ち並びもう郊外の住宅地になっている。
バスの終点で降りたが、美術館の入り口がわからず適当に歩いて行くと、
楽器を持った学生らしき人々が何人も歩いて来た。
そちらの方向にあるいてゆくと音楽ホールがあった。
そこへは入らず、脇を行くと屋外のステージに出た。
斜面の芝生が美しい。
それに対面している大きなキノコのような形状のステージもきれいだ。
ステージの右側の壁にパネルがあった。
そこにバーンスタインの写真とメッセージが彫られていた。
「パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)誕生の地
1990年6月26日、レナードバーンスタインの提唱で始まったPMFは、
国際教育音楽祭としての第一歩をこの地に印しました。」
とある。
その下に日本語と英語でバーンスタインのメッセージが書かれていた。
And I now must make the choice again of how best to serve music,and serve people through it.
Should I spend whatever days the good Load gives to me going back to my first love,the piano.
and playing all the Beethoven Sonata again?
Shoul I just go being a conductor playing all the Brahms Symphonies again year after year?
Shoul I devote myself only to being a composer
and writing the various kinds of music that I do write?
When you get to be 71,you consider such problems.
My decision has been, without too much difficulty,
to spend most of the remaining energy and time the Load grants me
with education,sharing as much as I can with younger people
---especially with very much younger people.
What ever I know not only about music,
but also about the arts,and not only about art,but also about the relation betweeen art and life.
And about being oneself,finding one's self,"knowing who you are"and doing the best possible job.
If I can communicate some of this to as many young people as possible
in the years that remain to me.I will be a very happy man.
This Pacific Music Festival is one very large aspect of this commitment
which I hereby nake for the rest of my life.
from this address at the PMF 1990 Opening Ceremony Leonard Bernstein(実筆サイン)
71歳になるとそういうことも考えるのか。
自分もその歳になったらそんなことを考えてみるかな、と思った。
しばらく芝生に座っていた。
草刈りの機械がうるさかった。