4/30/2018

5月1日 1994 San Marino Grand Prix

子供の頃の記憶にあるうちではスターリング・モスはまだコースを走っていた。
白黒のニュース映画だったのか、あるいは番組の映像だったのかわからない。
だからそれは1961年か62年だったのだと思う。
その後中学生くらいになったら1時間か2時間かわからないけれどF1のレースを
録画中継するような番組があったと思う。
そのころのレーシング・ドライバーの名前を憶えている。
ジャック・ブラバム、グラハム・ヒル、ジム・クラーク、ジャッキー・スチュワート
・・
だいたいあの頃のドライバーの名前は全部覚えている。

それからずっとF1とル・マンはテレビで見てきた。
1994年の5月1日までは。

あの日以来見ることはなくなった。




4/24/2018

Glenn Gould 2

今日はBeethovenの交響曲第6番をグールドがピアノで弾いているのを見つけたので
聴いてみた。
これも昨日の「皇帝」と同様衝撃的な演奏だった。
第一楽章からしてオーケストラで聴いていた曲と同じものか?
と思わせるほどの劇的な演奏だ。
編曲はリストなのだ。同じリスト編曲のピアノバージョンを他の人で以前に聴いた
ことがあった。でもその時は(たぶん)忠実にオーケストラを再現していたように思う。
なぜなら退屈でオーケストラの方がいい、と思ったからだ。

でもグールドの演奏は全く違う。
ベートーヴェンの曲の中に隠されたメロディーを引き出して聞かせてくれている。
とても新鮮だ。

私はメロディーをハミングしながら聞いていたけれど、
どうもハミングがハモって聞こえる。
よく聞いてみるとグールドがハミングしながら弾いている。
しかもメインの旋律ではないメロディーをハミングしている。

ところどころバッハを思わせる部分がある。
これはリストの仕業かグールドの仕業か知らないが、
つい引き込まれてしまう。
すばらしい演奏だ。

誰かがコメントを書いていた。

Beethoven wrote the Symphony.
Liszt transcribed it for piano.
Gould added choral.

Glenn Gould

中学・高校とクラッシクおたくだったのだけれど、グレングールドは聴かなかった。
理由は「変な人」だということだったから。
最近クラシックをまた聞き始めた。しかしいざ聞き始めると長いのだ。
以前は平気で聞いていたチャイコフスキーの4番。長い!
この曲は好きな曲だから聞けるだろうと思ったけれど、途中放棄。
ベルリオーズの幻想もシェーラザードも何もかも長い。

それでちょっと聞くのをやめて、また今日ちょっと聞いてみた。
YouTubeでベートーヴェンのピアノ協奏曲5番を聞き始めたらやはりかったるい。
別枠にグレングールドとカレルアンチェルの映像があったので、それを聞いてみた。
たぶんグレングールドをまともに聞くのは初めてだ。
しかし驚いたことにものすごく新鮮だ。
最初から最後まで一気に聞いてしまった。
グールドはすごい。
全く違うフレーズに聞こえる。
いや、ほんとに違うんじゃないか?と思う。
特に後半から最後の盛り上がりのフレーズはどう考えても違うような気がする。
まあ、中学・高校の時の記憶だからあてにはならないけれど、
でおそれほど新鮮に聞こえた。
久しぶりにクラシックにのめり込めた。

4/22/2018

子供のころ体験した不思議なこと

というスレッドを読んだ。

いくつか私もしたのと同じ体験が書かれていた。
1.赤ん坊で母親のお腹の中にいた時の記憶が子供の小さいころにはあった。
これは私も同じことを感じていた。子供のころお風呂に入って水道のホースを
お湯に入れて水を出して、それを手で受け止める時の手の感触がお腹の中にいた
時の漢字と同じだ。と小さい頃に思っていた。
だんだんその感覚は無くなって行ったけれど、小さい頃にそういう感覚があった
ということははっきり覚えている。
2.夢が現実になる。私の場合は夢でみた場面に出会うということだった。
小さな頃から大学生くらいまでそういうことがあった。最後にあったのは(どこかに
書いたかもしれないけれど)白樺湖に合宿に行った時だ。一度も行ったことが無い
場所なのに曲がり路の先に貯水池があることが、道を曲がる前にわかった。
その光景は夢とほとんど同じだった。
いや、40歳くらいの時にもあった。初めて行った沖縄の公園の景色を夢で
みていた。
こういうことは体験した人でないとわからない。というか勘違いとか幻覚とかで
片付けられてしまう。
3.目を閉じて一瞬で次の朝になる。これはたぶん不思議な出来事ではなく、子供は
みなそう感じるのだろう。一日はすごく長いのに夜目を閉じると一瞬で朝になって
いることが不思議だった。
4.友達とばったり会う。これも何度もあった。住んでるのと同じ街ならわかるけれど
新宿の雑踏の中だったり、ちょっと普段は行かない町だったり。
新宿で友達に出会った時のことははっきり覚えている。東口のサクラ屋の前だった。
5.知らない子と一緒に遊んだこと。これも小学生の頃茨城の田舎に夏休みに
一人で泊まりに行った時のことだった。一人で近くの田んぼや川の方に行ったり
していた。池のところで少し大きな男の子達が釣りをして騒いでいた。そのそばを
通るとき何か言われたような気がした。怖いので早足でそこを離れた。
川のところに行くと男の子がいた。たぶん同い年くらいの男の子だった。手に棒を
持って川の水草をつついていた。
何をしているのか気になって聞いたように思う。男の子はすこしいばったかんじで
何か言った。何を言ったかは覚えていない。
一緒に遊んでいると川の向こう側に行こう、ということになって、川の中を
膝よりも深いところを二人で歩いて行った。

途中でその子が「あ!」と言った。「靴が流れた!」と言って水に手を入れたけれど
靴は勢いよく流されてしまった。
しょうがないね、と言いながら片方だけの靴で歩いて家の方に一緒に帰った。
そうなんだ、一緒に帰ったんだ。
遠くの川で会った男の子と一緒に家の方まで「同じ道」を帰ったんだ。
家なら他にもたくさんあるのになぜ同じ方向だったんだろう?
私が泊まっていた田舎(母の実家)の手前でその子は「それじゃあね」
と笑って別れた。隣の(と言ってもかなり離れているのだけど)家の子だと
思っていた。
そのことをおばあちゃんに話した。
おばあちゃんは「・・ちゃんが帰ってきてるのかねえ」と言ったけれど、
はっきりわからないようだった。
その日以降その男の子を見かけることはなかった。
今、別れた時の笑顔だけはっきり覚えている。
6.思ったことが現実になる。 これは小学校の頃によくあった。だいたいが授業中
のことだった。自分が答えを知っている質問を先生がした時、下を向いて「僕にあてて」
と願った。そうするとたいてい先生は自分にあててくれた。
それから「こうなればいいのに」ということがあると、何か一連のやり方があったの
だけど、その順番で起きてほしいことを考えるとたいていその通りになった。

7.これはそこには書かれていなかったけれど、最近昔のことをいろいろ思い出して
みるとある一つの事実にゆきあたる。それは自分の考えを人に伝えることができる。
ということだ。子供の頃から自分がまだ言っていないことを相手が先に言うことが
何度もあった。それは相手は兄であったり母親であったりしたので、私は肉親に
対してだけ起きることだと思っていた。しかし社会人になって他の人にも
そういうことが起きることがわかって、これは自分の考えが人に漏れてしまうんだ
ということがわかった。
いちいち書いていくときりがないけれど、はっきり覚えていることがある。
会社の同僚からレコードを借りたので、お返しに自分のCDを貸そうとした時のことだ。
そのCDはちょっと変わったCDで誰も買わないようなもので、音楽の途中で突然女性の声が入ってびっくりする内容のものだった。そのことは隠していた。
そして「このCD聞いてよ」というとそのCDは知らないはずなのに、「そういうびっくりする音楽はきらいなんだ」と言った。「え!?これ知ってるの?」と聞くと
「全然知らない、そういう感じのもののような気がした」と言った。
ジャケットはごく普通の景色のような絵だったから推測できるわけもない。

自分の考えが伝わってしまうのはだいたい知られたくないことばかりだ。
でも、相手がそう思ったとしても私が直接言ったことではないので私が言ったとは
思っていないだろう。でも突然自分の頭の中のことを言われるとびっくりする。
「そんなこと思ってないよ」というけれど、内心はすごくびっくりしている。

まあ、子供の頃の話に戻るけど、
子供は確かに超能力者だと思う。


















3/30/2018

地球への帰還

ひとつ映画を思い出した。
たぶん12歳頃にテレビで見た。
例の奥様なんとか劇場だと思う。

筋は全く覚えていないけれど、その最後のシーンを覚えている。
どこか宇宙から地球に帰還するロケットの中。
男と女の二人が乗っている。
たぶん何かの生き残り。
地球に降りるロケットの中に立っている。
確か、床に立ったままでロケットは降下して行く。
するとロケットはその衝撃に耐えきれず、ボロボロと壊れて行く。
窓の外は輝くような光が流れている。
白黒映画だからそのシーンは強烈なコントラストだった。
最後は覚えていないけれど、
二人はロケットと共に燃え尽きてしまう。
という話だった。確か。
そのロケットの外を流れる光のシーンを思い出した。
なんという映画かは全くわからない。

3/27/2018

無から生まれるか?

宇宙は無の状態からビッグバンで生まれたとか言うけれど、
「無」が本当に何も無い状態だと規定するなら、
そこから何も生まれるわけがない。
「無」と言っているのだから、何かを生み出す可能性すら無いはずだと思う。

たぶん純粋な2次元空間みたいなものがあったのだと思う。
全く動きの無い水面をイメージしたい。
そこに小さな石を落とした時、1点から生まれた波紋が無限の広がりに
広がって行くだろう。
最初の一撃が何だったかは知らない。
その波紋が何かが存在できる確率だ。
波動関数と言ってもいいかもしれない。

2次元の1点から3次元の空間が生まれ、
それが無限に広がって行く。
たぶん物質はその波動のリップルみたいなものだろう。

そんな風に考えると「無」からこの宇宙が生まれたと言えるかもしれない。

3/17/2018

もうすぐ誕生日

どうでもいいけど、
子供の時から学校で祝ってもらったことがない。
入学式の日だから。
でもたいていは桜が咲いていて、
桜に祝ってもらっていたようなものかな。

最近の夢の特徴は、やけに現実的なこと。
それでも相変わらず学校の単位が取れないんじゃないか?
っていうテーマが出てくる。
本気で心配している。

それと会社の夢。
自分は管理職だけれど、他の社員から疎外されている。
はっきりとは言わないけれど皆私を避けている。
その疎外感は現実の会社では感じなかった。
そうなんだ。
それは感じなかっただけで、
本当は疎外されていたんだ。
そのことに夢の中で気が付いた。

この前、何だったかドラマを見た。
中村雅俊が定年になって関連会社の役職について
第二の人生を歩こうとする。
しかし、その会社では自分は邪魔であり疎外されていることに気が付く。
そのシーンを見て思わず固まってしまった。
あ、これは私だ。
と思った。
自分では良かれと思ってやっていることが
実は余計なことであり、もう古いやりかただった。
それで誰かを傷つけていた。
そういう夢を見る。

夢の中で歩く。
ひたすら歩く。
例えば四国の高松あたりにいて、横浜まで歩いて帰るとか。
山あり谷ありの道をひたすら歩く。
目が覚めて気が付くのは、その道は子供の頃遊んだ町の
とても狭いところを歩いていただけだった。
その狭い町が日本全部くらいの広さに思えた。

時々とてもきれいな景色に出会う。
雪をかぶったアルプスのような山だったり、
フィヨルドのような谷と海の景色だったり。
そこで写真を撮っておこうと思うのだけど、
カメラを持っていた試しがない。

ある時はカメラを取りに家に戻ろうとするが、
戻ろうとしたらもう全く別の土地を歩いていて、
家にも着けないし、元にも戻れない。
夢はそんなものだろう。

でも、夢がとても面白くて
また続きを見たくなる。

2/09/2018

妹というのはいつになっても妹だ。
妹が乳癌が見つかったとメールしてきた。
私は能天気だけれど妹はとても心配性だ。
メールからもそれがうかがえる。
元気づけるしかない。
幸いまだ初期のものらしい。
だから大丈夫だよ、と言った。
しかし妹が今どんな気落ちでいるか良くわかる。
とても励ましの言葉で安心するわけがない。
いつでも電話しなさい、と書いた。
手術がうまく行くのを祈るしかない。


2/07/2018

大磯




(訂正      ↓ 違う二宮だった)      
大磯はずっと昔にコマツたちと練習をした家があった。
それがどこにあったかもう忘れてしまったけれど、確か国道脇だったように思う。
道もきれいになってしまい今となっては全くわからない。


駅から広めの道をずっと降りてゆくとこの交差点に出る。
記憶とは違う場所に出た。
そこから国道?をずっと海の近くまで歩いて行った。
途中この道のすぐ近くに海が見えてた。


そうか、こんなに海は近かったんだ。と思った。
前に来た時に行けばよかった。

富士山は馬鹿みたいにきれいだった。
海も驚くほどブルーで、怖いくらいだった。
しばらく眺めていた。
風がやたらと冷たかった。

2/04/2018

未来へ



どこかでもう書いたような気もする。書いた?
札幌の本屋で1冊の本を買った。確か2000円くらいした。
高かった。未来はどうなるかみたいなことを書いた本だった。
内容は退屈な内容だった。
でも中の1ページ見開きでこの絵があった。
この絵を見て置きたくて買ってしまった。
この絵が2000円だ。
その本を先日処分した。
文字通り処分した。
でもこの絵だけはスキャンしてとっておいた。

この絵が好きだ。
どこか遠い未来にいて、静かにこの景色を見ている気分になる。
この絵のような世界がもしできるとしたら、
ものすごく遠い未来だろう。
100年やそこらでは世界はそれほど変わらないということは
いままでのSFや映画でわかっている。
だからこんな景色はずっとずっと遠い未来の景色なんだろうと思う。

ここでかがんで眺めている人は自分のような気もする。
あるいは遠い未来の自分の末裔か。
後ろ姿に見覚えがあるような気がする。

もしも遠い未来、この世界のような未来にこれを読んでいる人がいたら、
君は私だ。

1/19/2018

今年の札幌

今年も札幌に行こうと思う。
行くとしたら真冬(2月)に行きたいと前から思っているのだけれど。
真冬はあまりに一人だ。
と言うか、とても一人になれるような気がする。
問題は今それに耐えられるか?だ。
雪が降る様子を1時間も見ていたらそのまま動けなくなりそうだ。
それはそれでいいのだけれど、
今じゃないように思う。
それはもう少し先の楽しみにとって置こう。

今年は6月かな?
前に6月に行った時はバイクに乗ったら寒かった。
でも今年はバイクには(たぶん)乗らない。
Google Earthで行ってみたい場所をいくつか見つけたから
そこに(車かな?)行ってみよう。

考えてみると住んでいた頃にGoogle Earthがあったら、いろいろなところに
行っていただろうと思う。
もったいない気がする。

層雲峡とか網走にも行ってみたい。
思い出がいろいろあるから。
でも一人で行くには遠すぎる。
距離も「時間」も。


9/30/2017

夢からの逃避

夢と言えど、何度も同じ夢を見ていると
現実になることがあるらしい。
そうなると現実はがぜん夢実を帯びてくる。
現実の中で起きていることが
まるで夢に現実として起きていることのように思える。
こんなことが夢の中で起きるわけがないとわかっていても
まるで手で触れるように現実が存在する。
それはあくまで現実だと
心のどこかではわかっていても。

現実に逃避してはいけないと言うけれど、
現実の方が夢よりも心地よい
だからいつまでも現実にいたい
いつか現実から覚めて夢に戻るまでは