9/14/2018

このBloggerのこと 2

少し前に書いたことが、
左寄りでもなく、右寄りでもなく、どちらでもない内容で書いたつもりだった
けれど、誰か(たぶん右の人)が変なリンクを張ってきたので、
しばらくの間アクセスできないようにしていた。

それで再開したら今のとこアクセス数が10分の1くらいになった。
つまり一桁。
それはそれで良かったと思う。

もともと誰かに読んでもらうつもりで始めたわけではないので、
私が死んだあとで子供たちが読んでくれたらいいと思う。

じゃあなぜオープンにしてるかというと、ここに書いているような
検索ではめったに出てこないような事柄を、ひょっとして誰かが検索して
「おう!」と思うことがあったら面白な、ということでオープンに
してる。だからGoogleで検索すれば後ろの方には出てくるはず。

昔、札幌の「バードマンション」に住んでた人が検索して、ここに来たら
おもしろいと思う。
理由はそれだけ。

コメントも感想も評価もいらない。

だけど毎回数人の人が読んでくれていることは確か。
表示されていないけど閲覧数に必ず何人かいるから。
うーーん、
ご苦労様です。


9/13/2018

Away

暇にしてるとどこかに行きたくなるのだけど、
いつも遠くに出かけると思うのは
「なんでここにいるんだろう?」ということ。
例えば空港について、ホテルにたどり着いてベッドに腰かけて
思うのは、「家に帰りたい」ということ。
それからずっとその気持ちがある。
次の日になって、「さあ、今日はどこに行ってみよう?」
とポンプアップするのだけど、気持ちのどこかに「帰ろうかな?」
という気持ちがある。
現地がよっぽどエキサイティングな場所だったら、それに浸ってしまうから
平気なのだけど、
札幌に帰った(行った)時などは、まず「あれ?なんでここに来たんだっけ?」
と思う。
旅行はまずその気分に打ち勝つことから始まる。

一番怖いのは旅行先の飛行機や災害で事故に遭った時には必ずこう思うはず。
「ああ、やっぱり家にいればよかった。
 家のソファーに横になってテレビ見てればよかった」と。
その時が怖い。
どこか遠くに行くときはあんまり考えないことにしているけれど。

いつからこんなふうになってしまったのかわからない。
バイクに乗っていた頃もむちゃくちゃやってたのに。
ハングに至っては死んでもおかしくないことを何度もやっていたのに、
今はなぜかアウェイが怖い。

9/10/2018

死んだ男の残したものは

別に好きな歌じゃないし、好きな詩人でもないのでどうでもいいのだけど、
なぜか最近YouTubeでよく見かけるような気がする。
それよりも気になるのはこの歌がベトナム戦争反対の歌だと書き込んでいる
人がいることだ。
この歌はベトナムの反戦歌ですか?
違うと思う。
どうもWikiの記事を上ずらだけ読んでいるようだ。
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死んだ男の残したものは」(しんだおとこののこしたものは)は、谷川俊太郎作詞武満徹作曲による無伴奏合唱のためのベトナム戦争のさなかの1965年、「ベトナムの平和を願う市民の集会」のためにつくられ、友竹正則によって披露された日本反戦歌の1つである。[

とあるのだけど、「ベトナム戦争反対の歌」とは書かれていない。
あるいはベ平連で最初に歌われた歌だからそう思ったのだろうか?
この歌の内容からするとベトナムに限定されたものでないことはわかるはず。
どちらかと言うと「核戦争反対の歌」の方が近いと思う。

この歌は誰が最初に歌ったか、というのはwikiに書いてあるけれど、
だれが最初にレコードを出したのだろう?
と考えると、どうも高石ともやさんではないだろうか。
谷川俊太郎の詩集が出たのが1968年。
そのベ平連の集会が1965年。
高石ともやの「想い出の赤いヤッケ」のアルバムが1967年だ。
これ以前にこの歌をレコードで出した人はいないのではないだろうか。
私自身も1967年のこのアルバムで聴いた。そのあとはアマチュア以外では
この歌を聴いたことがない。
高石さんのこのアルバムは「想い出の赤いヤッケ」以外はすべて
社会派(ソシアルプロテストソング)の歌だ。(今、気が付いた)

想い出の赤いヤッケ
明日は知れない
白い傘
生きのこり
俺らの空は鉄板だ
かごの鳥ブルース
一人の手
冷たい雨
小さな箱
死んだ女の子
学校で何を習ったの
死んだ男の残したものは
チューインガム一つ

今だからおもうけれど、このアルバムはずいぶん多くのフォーク歌手に
影響を与えたのではないだろうか。



9/08/2018

野辺地フェリー埠頭 吹雪の深夜

写真を撮っていなかったろうか。と全部のネガを調べる気はしない。

どっちの方向にしろ冬の夜中の野辺地フェリー埠頭はだいたい吹雪いていた。
東京から走ると青森よりも野辺地の方が少し近い。
売店の側に車を停めて、車検証を持ってキップを買いに行く。
欠航の可能性があるようなことを書いた白板が立っている。
いつものことだから気にせず車に戻って、車を乗船場の近くに移動する。
だいたいこの辺だろうか、というあたりに車を停めて横になる。
外はガンガン吹雪いている。
真夜中だ。

*もう野辺地フェリーは無いらしい。何時無くなったのか知らない。
 記憶では真夜中に乗って朝に函館に着くということが多かったように思う。
 そうするとフェリーは夜中の1時くらいに野辺地を出たことになる。
 記憶が定かでないのでわからないけれど、そういう時間だったと思う。

船が出るまであと1時間以上待つことは普通だったように思う。
欠航になってショップの方でコーヒーを飲みながら時間を過ごしたこともあった。
それは函館の方だったかもしれない。

窓の外は吹雪。オレンジ色の照明だけが見える。
時々乗用車が列に並びにくるくらいで、少し遠くをトラックがやはり乗るために
やってくるのが見える。多くのトラックはもうずいぶん前からそこにいるように
思える。エンジンをかけたままひっそりしている。

船が無事出る時は出航少し前に誘導の係りの人が来て、こっちに並ぶようにと
指示をくれる。
乗船するほとんどは大型トラックだから乗用車は早めに降りられるように開閉ドア
の側から詰め込まれる。

車に乗ったままは禁止なので上の客室の方に移動する。
中にいて寝てもいのだけど、デッキで外を見ていることが多かった。
しばらくは遠くの方に街の灯りが見える。
それを見ていると酔うことは無い。














青森が見えなくなると仕方がないので客室に戻って横になる。
波が強いと転がりそうになるけれど、揺られているうちに眠ってしまう。
約4時間もすると港が近づき、ざわざわしてくるので目が覚める。
外はもう明るい。

この写真は野辺地側かもしれない。


着岸する前に車に乗り込んでエンジンをかけて、指示を待つ。
その時の感じが懐かしい。
着岸して大きな跳ね上がり式のドアーが降りる。
外のまぶしい光が入ってくる。
着岸すると係りの人が車の輪留めを次々と外して行く。
ゴトンゴトンと音がする。
先頭にいる係りの人が1台ずつ出るように指示する。
それに従ってフェリーを降りる。
地面の安定した感じがうれしい。

埠頭のショップで何か食べただろうか?
どうも思い出せない。
なんとなく朝は食べなかったような気がする。
しばらく走って、ドライブインで何か食べたと思う。

朝の、半分眠い、顔の前がもやもやした状態での運転の感じがなつかしい。
ああいうのはもう無いだろうな。
仕事で徹夜で運転した頃はまだあの感じがした。
特に運転しながら朝日が昇るときの、あの感じ。
あの感じは特別だ。

9/01/2018

Bill Clark

まだYouTubeでは誰もコラボなどやっていなかった。
9年前だ。
「弾き語り」というのは寂しすぎる。
だから誰かと一緒にやりたかった。
それで一人でやってる人を探した。
プロではなく、あまりに初心者でもなく、
それがBillさんだった。
勝手に彼のビデオをダウンロードして、それに合わせて自分の演奏を重ねた。
あんまりうまく行ったとは思えなかった。
でもその動画を非公開でYouTubeにアップしてBIllさんに知らせた。
全然知らない人だし、どう思われるかわからなかったから。
でも彼からの返信は思いもよらなかった。
すごく喜んでくれて、すぐに別の曲をやろうと言ってきた。
それからたくさんの曲を一緒にやってきた。
「一緒に」と言えるのかということだけれど、
どういう歌をやるか、キーは?誰が歌う?どこを歌う?
どんな風に歌う?とかを話しながらやってきたので
離れていても一緒に歌った感がある。
だから、いつも一緒にいたような気がする。

でも、Billさんが書いてくれるメールにすぐに返事ができない。
英語を読み返して、自分はどう書こうかを考えないといけないから。
日本語だったらすぐにでも返事ができるのに、英語だとなんで時間がかかるんだろう。
間違えても向こうはわかってくれるはず。
それがわかっていてても何度も書き直してしまう。
結局送らなかったり。
それでもBillさんは書いてくれる。

最後のメールは7月31日だ。
Hello Kogawa, sorry it’s been so long since I emailed. I did get your last email, and sorry for not responding.
I had to have another heart surgery, as the new aortic valve that they put in failed. I have been very weak with no energy. Tomorrow (Wednesday) they are giving me a feeding tube in my stomach because I am very low body nutrients. I am hoping this will help me build up my strength again.
I have been really enjoying listening to your songs you have uploaded. Great music tracks and your voice sounds wonderful.
I see the weather has been very hot for you in Japan this year. It has been here hot as well.
Are you still riding your bike everyday?
Thank you for sharing all your pictures...I sure enjoy seeing them.
Does the music studio you use to record, do they charge very much money? Sure looks like a nice studio.
Well, you take care of yourself. I sure miss making music with you. Maybe in a couple months I will be a little better and we can try something.
Best to all your family....
See you soon...your friend,
Bill
Sent from my iPad

Billさんは一番の友達だった。
でも僕はBillさんの良い友達だっただろうか。
ずっと考えている。

2018年9月1日ビルさんは行ってしまった。










8/31/2018

時代

YouTubeで車の修理を見ていたらこんなのがあった。


31年と書かれているけれどもう少し前じゃないか?とも思う。
この6分14秒のところでピンク・フロイドの「狂気」の8トラックカセット
が写っている。他のカセットはだめになっているけど「狂気」だけはラベルが
残っている。
このVWマイクロバスはヒッピームーブメントを象徴するような車だ。
この車はもうぼろぼろだ。
つまりそれくらい時代が過ぎているということなんだと納得する。
パート2の最後の方にサイドウィンドーにジェリーガルシアの写真が貼られているのがわかる。
この車のオーナーは当時のロックファンだったんだろうなと思う。


7/21/2018

視聴率

こんな超個人的なブログ、誰かに向けて書いているわけではないのですが、
タイトルが検索で出てくるものはしかたないとして、
どんなに少なくても必ず読んでくれている人がいるようです。
Googleの統計で出てきます。
自分はカウントされないので、誰かが読んでいてくれるみたいです。

わかりました。
私はあなたの為に書きます。

7/17/2018

渡良瀬遊水地


東京生まれ、ずっと東京暮らしの友人に「渡良瀬遊水地」知ってる?
と聞いてみた。
知らなかった。
私も子供の頃から関東圏に住んでいるけれど知らなかった。
なぜだろう?と思う。
地図の関東平野の上の方にこんなに大きな緑地があるのに、小学校以来
地図を眺めてきたけど知らなかった。

それが何かの拍子に「これはなんだ?」と気が付いた。
Googleストリートビューで一部だけ見ることができた。
すごく広々した緑の景色だった。
これは行ってみなければ、とさっそく2日後に行くことにした。
バスで行けばいいだろう。と思っていた。
渡良瀬遊水地の公式(?)ホームページを財団法人が公開しているのでそれを見てみた。
しかしバスによるアクセスが書かれていない。
車で行くか電車でどこかの駅から歩け!と書いてある。
しかしどこの駅からも遠い。一番近い駅で40分歩くらしい。

炎天下この距離を歩くのは無理。しかも行きたい場所まではさらに10キロ以上歩かないといけない。炎天下を。
私が行きたかったのは(上の地図で)一番北の緑地。無理。
調べてみると、古河駅と板倉東洋大前駅にはレンタサイクルがあるらしい。
しかしいずれも目的地まではえらく遠い。無理。
駅からタクシーというのも考えたけれど、帰りはどうする?というのがある。
タクシーで往復30キロ以上になる。ちょっと料金が心配。

やっぱりバスがあるんじゃないか?
と思ってしらべたら有った。
古河駅からのバスは緑地の方には行っていない。でも東武藤岡駅から出ているバスはかなり近くまで行くことがわかった。
行きは「江川南」で降りて、帰りは「四区待合所」から駅に帰ればいいと分かった。
バスの本数が少ないので帰りは3時過ぎにはバス停に向かわないといけない。
朝は10時からだけど横浜から3時間近くかかるのでそんなに早く起きれる気がしない。
それで12時くらいのバスにしてちょっと歩いて帰ってくることにした。

適当に起きて横浜から栗橋経由で藤岡駅に着いた。バスまで30分待ち。
駅で何か食べてから歩こうと思っていたけれど駅前には何もない。
駅員に聞いてレストランの場所まで行ってみたけれど、結構ガッツリしたメニュー
であまり食欲がわかなかった。駅まで戻って途中で念のためと買ったおにぎりを食べた。
これは正解だった。

バスは小型のコミュニティーバスのような感じ。料金100円。
江川南で降りて緑地の外れまで歩くのだけど、これが思いのほか遠い。
地図を井の頭公園の池のイメージで見ると近いのだけど、ここは北海道サイズで見ないといけなかった。
公道から緑地側までは道が途中雑草に覆われて草を分けて歩く感じ。
それで出たところがここ。



川が流れていてここから南に向かって緑地が始まる。
この川に沿って真っすぐ緑地の方に向かう道があったのでちょっと歩いてみたけれど、
道の両側から葦がたれかかってきてそれ以上行くと、熊はいないだろうけどスズメバチとか居そうなのでやめた。
それでここが土手になっていて土手がずっと南の方まで続いている。


ここから約2.5キロ先に川に橋が架かっている場所があるはず。
たいした距離ではないのだけどとにかく太陽が暑い。
途中写真を撮りながら歩いたのだけど、何度か土手の下に降りて木陰で休まないと倒れそうだった。


土手から遠くを見ると延々と緑地が続いている。


鉄塔がずっと続いていて「わあ、鉄塔武蔵野線みたいだ」とか思ったのは瞬間で、
それより暑かった。


この森はGoogleで見ると真四角に見える。
ここを左に曲がって緑地の中に入ってしばらく歩くと川にでる。


この川にかかる橋が一応目的だったのだけど、この景色は中止にしてしまった北海道旅行で写真を撮るはずだった川と橋のイメージだったから。
北海道では川は結構流れは速く流れている。でもここは緑地というか湿地なので水の流れはゆるやか。
やはり北海道行こう。と思った。

緑地内は虫がすごい。
歩いていると耳のそばでブンブンいってる。
ずっと虫よけスプレーを体中にかけまくりだった。
幸い刺されることはなかった。

あらためてみると地図の上の方4分の1くらいのところをちょっと歩いただけだった。


7/14/2018

渋谷のSAV

マッチが出てきた。



場所をはっきり思い出せないのだけれど、「道玄坂百軒」とあるので
だいたいあのあたりだったのだろう。
何度か入ったことがある。
だからマッチがあるわけだけど。
あまりよく覚えていないけれど、誰かと二人で入った時は
テーブルの左側の方にガラス窓があり外が見えたような気がする。
その時にCSN&Yのデジャブがかかっていたのをはっきり覚えてる。
ジャズだけじゃないんだ、とその時思って
一緒に行った友人とその話をした。
店の中に反響するそのギターの音が耳に残っている。


6/28/2018

「オートバイからVサイン」

彼女には会ったことも話したこともない。
・・・と思っていたのだけれど、そうだろうか。。

なぜか捨てずに残っていたこの本が本棚にあった。
それを眺めていて思い出したのは、記憶だろうか?
それとも後から勝手にそう思ったことだろうか?

毎年1回は札幌ー東京を車で往復していた。
甲州街道を調布から都内に向かう途中、環八を右折したところに
彼女の店があった。
確か、、一度その店に入ったことがあった。
そこに誰か女性がいた。
そのころはバイクには興味が無かったからちらっと店の中を見て
すぐに出てきた。
今思うに、あの女性は彼女だったのではないだろうか。。

バイクの免許を取ったのはそれからずいぶん後になってからだ。
その時には彼女はもう居なかった。
この本はいつ買ったのだろう?
もうハング関係の本もバイク関係の本も全部処分したのに
これだけ残っていた。

堀ひろ子さんは私より1つ年上だったんだ。。
父と同じ誕生日だ。



6/17/2018

夢を見るには

ビタミン B6がいい、とどこかに書いてあったから試してみた。
全く効かなかった。
だいたいサプリで何かに効くというのは当たった試しがない。

曰く、夢を鮮明に覚えたり、夢の続きを見るのはビタミンB6を飲み続ける
といい、とか書いてあったので、しばらく続けてみた。
しかしよく眠れるようになった気はするけれど、夢は全く見ない。

私的に確実に夢を見る方法は、寒い状態で眠ることだ。
夜中に布団を蹴飛ばして何もかけずに眠って寒さで目が覚めた時などは、非常に
はっきりと夢を覚えている。またそのまま布団をかけて眠ると夢の続きを見る
ことも多い。
たぶん、寒い状態というのは完全に熟睡できない状態なのではないだろうか。
だから夢を見ている状態で寒さで目が覚めると夢をはっきり覚えている。

昨日見た夢もはっきり覚えている。
一番覚えているシーンはこれまでにも何度も見たのと同じようなシーンだった。
どこか広々した工場跡地のようなところにものすごく巨大な、というか
高層の真っ白の建物があり、上の方は少し雲にかかってかすんでいる。
その上の方に横向きに別の建造物が伸びている。
絶対に有り得ない形のものが空の高いところにある。
とても人間が作ったものとは思えない。
上の方は少し青みがかかっている。

あれは落ちてくるんじゃないだろうか?
そう思うと怖くなった。
だいたいあの建物は何だ?
あんなに真っ白で何の為の建物なんだ?

その上の方に飛行機がやってきて止まる。
いや飛行機だと思ったのは宇宙船のようだった。
だいたい翼が無い。
あんな宇宙船を人間が作れるだろうか。

怖くなって工場跡のコンクリートの壁の隙間に潜り込んで
それを眺めている。



そんな夢だった。
目が覚めてみると何が怖かったのかわからない。
その不思議な建物をもう一度見たいと思って
眠ろうとするけれど、変に目が冴えて、それから1時間くらい眠れなかった。
スマホを出してニュースを読んでいるうちにまた眠ってしまったようだ。




6/08/2018

ラズベリーパイとTK80

「ティーケイ・ハチマル」はCPUが8080だったから「ハチマル」なわけで、
決して「ハチジュウ」ではない。Z80(ゼット・ハチジュウ)が出たのは
ずっと後だから。

ラズベリーパイだけれど、
こんな大きさしかない。
TK80はB5くらいの大きさがあった。


いずれもその時代の最先端のトレーニングボードだと言えると思う。
それぞれの性能は比較するのも意味が無いくらいの性能の差だ。
ラズベリーパイは驚くほどの機能を持っている。
このサイズだとTK80のI/OインターフェイスのICが1個乗るくらいだ。

TK80を前にして考えられる応用はたぶん無限にあったと思う。
あれから始まったのだと思う。
しかし今ラズベリーパイを前にして何ができるのか想像ができない。
もうあまりにもその世界から離れてしまっていたから。

しかしあと半世紀もすると今度は量子コンピュータがこのくらいのサイズになって
現れるに違いない。
その時は今までとは違った想像もできない応用ができるようになるにちがいない。

その世界を見てみたい気もするが、
みない方がいいような気もする。