私が小学生の頃、休みになると私はどこか親戚の家に行かされた。
田舎もそのひとつだった。
私が生まれたいなかは水戸駅から車で30分くらい行った所だった。
当時は内原駅からバスだった。
何度行ったろう? 少なくとも3回は行ったように思う。
いなかは祖母が住んでいた。
一番古い記憶では母の弟がそこにいた。
お祖父さんはいただろうか?
記憶には無いのだけれどずっと後になって
母が私に「お祖父さん怖かったでしょう?」と聞いたことがあるので
ひょとするとお祖父さんも会ったことがあるのかもしれない。
記憶にあるのは私とお祖母さん二人きりの夏休みだ。
私は野菜嫌いだったので大変だったろうなと思う。
母はたぶん私を祖母にあずけて東京に帰ったのだと思う。
私は田んぼの方とか一人で歩いていたのを覚えている。
いつだったか母が一緒にいた時、祖母が縁側に板を出してきて、
その板というのは多分濡れた着物か布をその上に張り付けて
アイロンがけのようにするためのものだったと思うけれど、
その板を縁側から庭に斜めに置いてくれて、
そこを滑り台にして遊べるようにしてくれた。
いったい私が幾つくらいだったのかわからないけれど
笑いながら滑って遊んでいたのを覚えている。
そこに母が来て、「私も」と言って縁側に上って
座って滑ろうとした。
滑ることはできたのだけど、スカートをどこかにひっかけて
破いてしまった。
母は大笑いしていた。
お祖母さんは笑いながら母を叱っていた。
お祖母さんはとてもやさしい人だった。
母は大柄で背が高かったけれど、お祖母さんはちょっと背が低かった。
お祖母さんは広島であの日の後一人で残った家族3人を守って
茨城に連れ帰った人だ。
まだ私を呼ぶ声を覚えている。
訂正:お祖父さんは広島の原爆で亡くなっているから(母の)田舎で
お祖父さんに会ったことは無いはずだ。
だからお祖父さんに会ったとすると父方の田舎でだと思う。