6/13/2022

思い出した母のこと

 私が小学生の頃、休みになると私はどこか親戚の家に行かされた。
田舎もそのひとつだった。
私が生まれたいなかは水戸駅から車で30分くらい行った所だった。
当時は内原駅からバスだった。
何度行ったろう? 少なくとも3回は行ったように思う。

いなかは祖母が住んでいた。
一番古い記憶では母の弟がそこにいた。
お祖父さんはいただろうか?
記憶には無いのだけれどずっと後になって
母が私に「お祖父さん怖かったでしょう?」と聞いたことがあるので
ひょとするとお祖父さんも会ったことがあるのかもしれない。

記憶にあるのは私とお祖母さん二人きりの夏休みだ。
私は野菜嫌いだったので大変だったろうなと思う。
母はたぶん私を祖母にあずけて東京に帰ったのだと思う。
私は田んぼの方とか一人で歩いていたのを覚えている。

いつだったか母が一緒にいた時、祖母が縁側に板を出してきて、
その板というのは多分濡れた着物か布をその上に張り付けて
アイロンがけのようにするためのものだったと思うけれど、
その板を縁側から庭に斜めに置いてくれて、
そこを滑り台にして遊べるようにしてくれた。
いったい私が幾つくらいだったのかわからないけれど
笑いながら滑って遊んでいたのを覚えている。
そこに母が来て、「私も」と言って縁側に上って
座って滑ろうとした。
滑ることはできたのだけど、スカートをどこかにひっかけて
破いてしまった。
母は大笑いしていた。
お祖母さんは笑いながら母を叱っていた。

お祖母さんはとてもやさしい人だった。
母は大柄で背が高かったけれど、お祖母さんはちょっと背が低かった。
お祖母さんは広島であの日の後一人で残った家族3人を守って
茨城に連れ帰った人だ。
まだ私を呼ぶ声を覚えている。

訂正:お祖父さんは広島の原爆で亡くなっているから(母の)田舎で
   お祖父さんに会ったことは無いはずだ。
   だからお祖父さんに会ったとすると父方の田舎でだと思う。