5/17/2017

Rip van Winkle

リップ・ヴァン・ウィンクルという名前を聞くといくつか引っかかるものがある。
まず叔母が住んでいたのがTexas州のRip van Winkleという街だった。
私は行ったことなないが、「その名前はあの物語の場所だから?」と聞いたら、物語とは
関係が無いということだった。
でもちょっと行ってみたい気もする。

ある日中古CDショップに行って良さそうなCDを何枚か買って来た。
その何枚かの中に全く知らないCDが入っていた。
インディーズバンドの「リップヴァンウィンクル」という名前のバンドだった。
なぜそこに入っていたのかわからない。
たぶん欲しかったCDの隣にあったCDだったのだろう。確認せずに持って来てしまったのだろう。
300円だった。一度聞いて、ああいいや、と思った。

昨日「リップバンウインクルの花嫁」という映画を観た。
「ああ、なんかこういうのは後々気になっちゃうんだよな」と思いながら最初の方のシーンを
見ていた。しかし話はそういう方向ではなくとても不思議な方向に向かって行った。
すごく美しい映像だった。
観終わって時間が経ってもじわじわとくる映画だった。
何だろう?ああいう感覚はちょっとなかったなあと思う。

それで本来のお話は浦島太郎物語なのだけれど、ああいう発想は世界中にあるのだろうか?
勿論相対性理論ができるずっと前のことだけれど。
普通に生活していて時間を超越するという概念がうまれるのだろうか?

どちらも長い時間経ってお爺さんになって戻ってくると、村は数十年経っていて、という一致は
不思議だ。