7/10/2025

テキサス

 暇だから延々とフェイスブックを見ているのだけど、
テキサスのフラッシュフラッドの犠牲になった子供たちの
写真が頻繁に出てくる。
これが辛い。
なんでこんな子供が?とそのつど涙が出る
それが多すぎる。
なんでこんなにたくさんの小さな子供がと思う。
最初はcareとか押していたのだけどもうそれもできない。
どうしても自分の子供の顔に見えてしまう。

明日退院

 長かった囚人生活もやっと終わる。
この病室は四人部屋だ。
私は窓側。
入り口の左側に85歳の男の人。
その人はとても静か。
だけど夜中に毎晩看護師さんが来る。
よくわからないけど、聞こえて来る声を聞いていると
オムツが溢れてしまうようだ。
それでシーツを変えたり着替えたりしているようだ。
毎日だからなんとかならないかと思うけど。
どこが悪いのかはわからない。
私の向かい側の窓側の人も80半ばくらいだろうか。
この人は何をするにもうるさい。
カーテンの開け閉めとかゆっくりやればしずかなのに、
食べる時がまたうるさい。
すする音や食べる音ゲップ、みんなうるさい。
それを5日間聞いてきた。
最初は閉口した。「音出すなよ!」と思っていた。
今日になって分かったのだけど、
彼は歩くのが不自由のようだ。
何の病気かわからないけど、呼吸器系に問題があるのかもしれない。
あんな風に息をしながら食べるのには理由があるのだろう。
彼は眠るととても静かだ。
私のとなりに昨日入ってきた偉そうなおっさんのいびきに比べたら
死んでるように静かだ。
その静かな人が昨日夜中に寝言と歌を歌い始めて驚いた。
何の歌かはわからなかったけれど
はっきりとしたメロディーで歌っていた。
寝ながらあんなにしっかり歌えるのだろうか?

その人たちとも今日でお別れだ。
もう二度と会うこともないだろう。




7/09/2025

時間の続き

 病院で暇だから時間とどういうものか考えてみた。
一番いいたとえはルームランナーだと思う。
絶えず動いているルームランナーの上ではとにかく走るしかない。
後ろ向きに走ることはできない。
走っていても動いているわけではない。
同じ位置ではしっている。
時間はこういうものだと思う。
走ってきた道があるわけでも、走る先があるわけでもない。
同じ場所にいるだけだ。
それじゃあ何がルームランナーを動かしているかというと
それがエントロピーだと思う。

時間という幻影は幻の方向性はある。
走ってる人は年を取るわけだから、あたかも後ろに若い自分がいて
前には年取った自分を感じるだろうから。

時間のこと

 何度目か忘れたけれど時間について書こう
病院で暇だろうからと、入院する前にブックオフでニュートンの
特集号を何冊か買っておいた。それらは入院一日目で読んでしまった。
時間の特集をしたものを読んだけれど、
「時間は存在しない」と言っておきながら、後のほうで
「過去に戻る方法」とか書いていて一貫性がない。
前にも書いたけど、時間というのは幻影だと思う。
今、この瞬間しか存在しない。
少し過去も少し未来も、遠い未来も遠い過去も存在しない。
時計ができて時間という幻影ができたのかもしれない。
1秒間に物がある距離移動するとか、
そうすると1秒後にはここまでいどうするとか、
そういう考えができると当然時間は流れていると思うだろう。
しかしそれは幻影だ。
死んだ人が天国に行くという考えと同じだ。

このあたかも時間が起こしていると思える「変化」は
一体何が起こしているのだろうか?と考えると
それはエントロピーだろうと思う。
エントロピーが変化を起こしている。
エントロピーは絶えず増大する。
つまり時間が進んだように思わせる。
エントロピーは決して自然には減少しない。
だから時間を戻すことはできない。

7/08/2025

卒業証書

 そんなものがあったろうか?
何か騒いでいるけど。
見た記憶がない。
高校までは確かある。
だいたい「君卒業したの?」と聞かれると自信がない。
5年やってるけど最後どうした?
卒業式は行かなかった。
私が卒業したかどうかは学校に聞くしかない。
面倒だからどこかの卒業証書をコピーして偽造するかもしれない。
そんなもんだろう。
ばれたら「ああ、すみません」だろうな。

しかし本当に自信がない。

入院

 日曜日から入院している。
というのも大腸にポリープがたくさん見つかって
その小さいものは二か所の病院で取ってもらったのだけど
大きなものが残っていてそれが癌になる可能性がある
ということで取ることにした。
それが大きな病院でないとできないとかで
横浜市大病院のある八景島のそばにいる。
手術は昨日終わった。
眠りにつく瞬間を覚えておこうと思いずっと
注意していたけれど、気が付いたのは病室のベッドだった。
ずっと昔に全身麻酔で手術した時は、その瞬間を
おぼえていた。
手術台のある部屋の電気が真っ白に光って
その後は、病室に向う廊下の天井だった。

そんなわけで、日曜日から何も食べていない。
それよりも、ずっと点滴がぶらさがっているのがうっとうしい。

6/28/2025

「君が代」の話

聞くところによると小学校の音楽に授業で
先生が校歌のプリントを配りそれを音楽の教科書の
「君が代」のページに貼る様に指示したそうだ。
私の時代にはそういうことは無かった。
何時頃までそれをやっていたか定かではないが
1990年生まれの人が小学校でやったと言っているので
2000年頃まではやっていたのだろうか?
それ以降のことはわからない。

私も一応左翼の翼の根元の方の小さな1枚のつもりだが、
この話を聞いた時「それはダメだろう!」と思った。
「君が代」云々の前にそのやり方は戦時中の軍のやりかた
を彷彿とさせる。
目障りだから紙で覆うというのは全く愚行だ。
それを日教組が指示しているとしたら頭がいかれてる。

もしも君が代に問題があるなら、
君が代を見せることで問題意識を持たせるべきだろう。

・・・と思ったりする
 

6/24/2025

子供の頃信じていた間違い

 って言うのは数多い。
さっき思い出したこと。
一番速いのは何か? っていうことを良く友達と話した。
結論として頭で考えたことが一番速い、
ということになったと思う。
たとえば何かが光ったらそれに反応して機械が動く、
とかだけど、どんな速い機械でも
頭で「光った!」と反応するのがずっと早い。
ほとんど瞬間だから。

ということだけど、今だからわかるけど
目から脳まで信号が届くのには結構時間がかかっているはずだ。
一瞬どころかミリ秒単位でかかっているように思う。

6/18/2025

デジャヴュなこと

 今に始まったことではないのだけど、
何かしている時に頭の片隅に映像が浮かび
「あれ?これいつだっけ?」と思うことがある
昨日はキッチンでタマネギを切っているときに
ずいぶん前に見た(ここの)家の夢を思い出した
都筑に住んでいた時はとにかく家が狭かった。
せまいところに3人、あるいは4人で暮らしていたから
よく広い家にいる夢を見た
使っていない部屋があったりした
そこの部屋をみつけて
「ああ、この部屋を自分の部屋にしよう」と思う
その時の部屋の感じと窓からの太陽の光
それが今いるこの家の感じだった
その夢を思い出した

タマネギを切りながら
頭の隅にはっきりとその光景を思い出した

6/12/2025

思い出したこと

どうもこの前からちらちらと女性の顔が浮かぶ。 
それが誰だったのかわからなかったのだけど、思い出した。
「つみきみほ」という女優だ。
その名前を直接思い出したわけじゃない
思い出した断片を調べてみたらその名前だった

だけど記憶していてちらちらと浮かんできていたのは
彼女の写真だった。
笑ってはいないが静かな目つきの清純な感じだった
その写真?を私は持っていた。
それをどこで撮ったのか思い出せなかった。
またどうしてそれを持っていたのか?わからなかった

それで誰だかわからないその記憶の中の人を想い出そうとしたら
ひとつの映画を思い出した。
「桜の園」という映画だ。
「そうだあの映画の中の人だ」と思い出し
映画の配役を見ていて「つみきみほ」だと思い出した。
そうだ!それだ!
と思い、アマゾンプライムビデオで検索したら無料で全編
見れる物があったのでそれを見た。
しかし、その映画に出て来る彼女の顔と記憶のそれとでは
かなり違いがある。
私の記憶の中の写真の顔は出てこない。
だけど彼女であることは確かだ。

それで彼女の名前で画像検索したけれど、記憶の中の
顔は出てこない。
何処かの映画だろうと調べていたら、突然思い出した。
映画じゃない!テレビだ!
それで彼女の出ていたテレビ番組名を調べてみた。
ところがかなりたくさんの番組に出ている。
順々に調べていたら記憶に引っ掛かったものがあった。
片岡鶴太郎だ。一緒に出ていた。
それで「説教強盗」という短編のドラマだとわかった。

そこまでわかるとかなり鮮明に思い出した。
昔(1991年らしい)ドラマを見ていて彼女が気になって
ポラロイドカメラでテレビを写した。
その写真だった。
あのポラロイドまだあるだろうか?
そのドラマもVHSで残っているらしい。
オークションにあったけれど高くて買う気はおきない。
またどこかでみる機会があるだろう。
その時になんで写真を撮ったのかわかるだろうきっと

追記:
写真が見つかった。
これはビデオプリンターで出力したものだ。

そのビデオプリンターってどういうものだったろう?
思い出せない
検索しても出てくるのは見覚えの無い物ばかりだ。
家に持っていたはずなんだけど
葉書サイズの印画紙をどこかにセットして印刷するものだった はず





ドラマの内容は全く忘れた。












謎の現象

 ひょっとすると謎ではないのかもしれないけれど、
以前妻と手例を見ていて不思議に思う現象があった。
それは二人ともテレビを見ながらスマホを見ていた時のこと。
私がテレビ画面の何かの商品を話題にして話しかけた。
彼女は相変わらずスマホをずっと眺めていた。
しばらく(たぶん数分)したら私のスマホ画面にその話題にした商品が
ポップアップした。
あれ?と思ったけれどその時はあまり気にしなかった。
そして全く別の日に今度はテレビは付けていない状況で
お葬式のCMについて話をした。
すると数分後にそのCMのポップアップがスマホに出た。
これは絶対おかしいと思い妻にその話をした。
すると「なんかそういうことあるらしいわよ」と言う。

また、私がずっとメール交換をしている人がいるのだけれど、
その人とのメールの内容で私が高校時代の久美子さんという女性の
ことを書き、先日行ったライブの女性シンガーも久美子さんだった、
ということを書いた。
するとそのメール相手は「私の従妹も久美子っていう名前なの」と
いうことを書いて来た。
それから1週間もたたないうちにフェイスブックに
「知り合いかも、**久美子さん、・・」
というFBからのメッセージが来た。

久美子っていう話はフェイスブックではしていないし、
メール(電子メール、 独自のアドレス)の中でしかしていない。
なぜわかったんだろう?
と考えると、メールの内容を読んで何かの参考にしているのだろうと思う。
先のテレビの話は文字ではなく言葉でしか言っていない。
だから私のスマホ(アンドロイド)か妻のスマホ(iPhone)のどちらか
あるいは両方が話を聞いているとしか思えない。

よく聞く話だけれど、
「今私が言ったのと同じことテレビ画面で言ってた」
っていうのもひょっとすると偶然ではなく
人の話を聞いていたのかもしれないと思うようになった。






6/02/2025

1980年の私がスマートフォンを見つけたら

 ちょっと考えてみた。
1980年だからね。
1970年だともう全くわからないだろうね。
80年だともうCDも見てるし、HPの電卓とかプログラムできるものもあった。
だけどこのツルツルの平らなガラスか?っていうのはどうだろう?
とりあえずさわってみてツルツルだと確認するだろうな。
つまり何か押すところは無い。
次にサイドだけど、押せそうな部分がいくつかあるから押すだろうね。
押すと画面が明るく光るからびっくりするだろうね。
しかも小さな文字が出て来る。
当時ここまで小さな文字の表示器は無かったと思う。
電卓のセグメント表示くらいかな?
とりあえず私はHP電卓のLEDセグメント以上に小さな表示器
を知らなかったと思う。
だからたぶん「この文字は印刷されているのだろう」と思うだろう。
そして画面背景の白く光ってる部分はどう思ったろう?
テレビ画面は白い画面は出せたけれど、この薄さのCRTは無理だ。
FLの平面照明はあったような気がするが、こんなに白く明るくはなかった。
だから特殊な蛍光管がどこかに仕込まれていると思うだろう。
そうこうしているうちに着信があって振動し始めたらどうだろう?
かなり焦ると思う。
爆発すると思うかもしれない。
とりあえず2,3メートル飛びのくと思う。

鳴りやんでから見に行くと画面に「・・・着信がありました」とか表示される。
そこでやっとこれは電話か無線機だろうと思うだろう。
でもセキュリティーのパスワードを請求されたらそこで
だめだろうな。
それ以上なんともできない。

仮にパスワード無しで立ち上がったとして、
あと何ができるだろう?
スワイプはおろか画面タッチ操作が出てくるのは確か85年頃だ。
だからアイコンに触るとアクセスできるということに気がつくのは
時間がかかるだろうな。
何かのアイコンにふれてアプリが立ちあがって初めてその意味が
わかるかもしれない。

だいたいアプリという概念が無かった。
オブジェクトだってもう少し後だ。
当時のパソコンは自分でコマンドを打ち込まなければいけなかった。
それでも画面に電話のマークがあることには気がつくだろう。
それに触れてプーという音とテンキーがでたら電話ができるらしい
ことはわかるはずだ。
どこかに電話してみて、昔の受話器のように持つことはできるだろう。
そしてこの小さな薄い板が電話機だとわかるだろう。

しかし、インターネットはまだ無いから・・・
いやちょっとまて、スマホの信号に対応した電話回線が無いから
電話はできないだろうな。
むしろスマホがパルス出力できて電話回線につなぐことができないとだめだ。
このUSB-Cのコネンクターのとこに旧一般電話回線用のUSBアダプター
をつけないといけない。

そんなものは無い。
だんだんばからしくなってきたからやめよう。