9/17/2026

秋葉原2008

 この年に秋葉原・無差別殺傷事件が起きた。
私はもう既に横浜の都筑区の方に住んでいた。
私は58歳だった。
今日フェイスブックにその事件の時の写真について
いちゃもんを付けていた人がいたので、私もその事件の
ことをもう一度読んでみた。
それであの時亡くなった7人の人はどういう人達だったのか
を知った。
その7人の中で一番年配の方は74歳だった。
中村勝彦さんというその人は息子さんと秋葉原に来ていて
あの事件に巻き込まれた。
元は医者だったそうだ。
息子さんが心臓マッサージを行ったそうだが、亡くなって
しまった。
74歳で突然あのような形で死ななければならなかったのは
さぞかし残念だったと思う。今の私とそれほど違わない年齢だ。

あの殺傷事件が起きた場所は秋葉原の一番メインとなる交叉点
のあたりだ。我々は日通ビル前の交差点とよんでいたところだ。
その場所で私も事故を目撃している。
朝の出勤時に昭和通りの方から交叉点を若松通商の方に
横断歩道を渡っていた。もう既に歩行者信号は赤になっていて
私と後ろの何人かは走って渡っていた。
私が渡り終えた時、私の後ろで何かがぶつかる音がした。
振り返ると人が宙を飛んでいた。
郵便局の車が一番左車線を走ってきて信号が青だったので
そのままの勢いで交叉点に入ってきて、私の後ろの人を
はねてしまったようだ。
その人は日通ビルの前まで飛ばされていた。
そのあと交通は止まって人々が飛ばされた人を
見ていたがその人は動かなかった。
しばらく見ていたが私は会社に急いだのでその後はわからない。

それと同じ場所だった。
秋葉原の時代はそれほど好きではなかったけれど、
あの交差点はいい印象が無い。

9/16/2026

昭和25年

 私が生まれた年の出来事を読んでいた。
あまり面白い出来事は無い。
朝鮮戦争とか赤狩りのニュースが多い。
その中で「噂の皇居前広場」という漫画が"卑猥"として
警察に摘発されたという事件。
漫画は1枚で皇居前広場で繰り広げられていた
男女の行為を漫画にしたものだ。
と言っても漫画はたわいもないものだ。


面白いのはそこではなく、
この記事は偶然みつけたものなのだけれど、
この漫画を描いたのは漫画家の横山泰三と言う人
そのお兄さんがふくちゃんの横山隆一。
確かこの人昔鎌倉で私達と一緒になにかやった人のお父さんのはず。
コマツの友人のはず。
偶然にしては面白い。


9/12/2026

Great Gig in the Sky

ピアノを弾ける人にとっては超やさしい曲だと思うのだけど、
 苦戦してる。
今までピアノが入る曲は主に右手のみで、低音部が入る曲は
2度録音していた。右手で手音部を弾いて。
どうせ左手は指を広げることができないし、
親指と人差し指、中指しかまともに動かないから。
左手を一緒に弾く練習をして来なかった。

それで、人生の最後に1曲ぐらい両手で弾きたいから、
練習している。
今のとこ最初の5小節くらいまでやっと弾ける。
ちゃんとではない。
えっちらおっちら弾く。
でも両手で弾けると気持ちがいい。

たぶん全部を弾けるようになるのは来年までかかる。
まあ、誕生日くらいまでには完成させたいと思う。


9/08/2026

耳がね

 前から気になっていたのだけど、
例えばPink FloydのGreat Gig in the Skyの最後3:33の所
音が消えて行くところで音程がわずかに上がって下がる。
レコードによって多少時間の違いはあるかもしれないけど
とにかく音が消えるところで音程が上がって下がる。
これは確かだと思う。

しかし問題は、そうでない音、
例えばピアノの中央のドとかを弾いて、音が消えるところ
を聞いていると音程が上がる。
上がって下がるのではなく、わずかに上がる。
これはどうやら私の耳がおかしいみたいだ。
なぜおかしいとわかるかと言うと
音が徐々に消えて行くような音を聞いた時
消えかかる最後のところで音程がわずかに上がる。
音源は同じでそれを何度も聴いてみると、
上がる時と上がらない時があるから。

意識して「上がらない」という意識で聴くと上がらない。
あたかも耳の奥に力を込めて上がるのを抑えているように感じる。
そうではなく、なるがままに聴いているとわずかに上がる。

とても気持ち悪い。
恐らく前にも書いたかもしれないけれど、
鼓膜が老化して小さな音の振動が高めに振動してしまうのではないだろうか?
あるいは同じ振動数だけれど、鼓膜がそれを少し高めの音として
とらえてしまうのではないだろうか?

今のところそれの弊害はないのだけれど、
曲の最後をフェードアウトするときに時々音程が上がって
いるように思うことがある。
そういう時はもう一度音程が上がらないように意識して
聞き直す。
実際には上がっているはずがないのだから、
別に確認しなくても大丈夫なのだけれど、
上がっていないことを確認しないと気持ちが悪い。

でも、ひょっとして皆もそう聞こえていたらどうしよう?










9/06/2026

わかったよ、やりますよ

 何をするかな?と考えてやっぱりキーボードをやろうと思う。
先月買ったシンセもろくに動かしていないのだけど、
そっちもやりたいのだけど、
とりあえずピアノだ。
1曲弾けるようにしようと思う。
私は左手が故障しているので左手があまり活躍しない曲がいい。
それで、やはりどうせならPink Floydだ。

楽譜の前半を読むことにした。
リアルタイムには読めないので音名を書くことにした。
それを全部やった。

明日から練習だ。
今日からじゃない。

今外は大雨が降っている。
警報レベル4で防災放送のスピーカーが何か言ってる。
でも雨と風でほとんど聞こえない。
雨はまるで風呂がいっぱいになってこぼれているような音だ。


9/05/2026

どうしたらいいかわからない

 今に始まったことじゃないけど、
毎日をどうしたらいいかわからない。
あれをやろう、ということはたくさんあるのに、
そのどれもできない。
よし、明日からやろう!
と思っても明日は明日でやることができてしまう
だからやろうと思っていたことは先送りになってしまう。
夜にやろうと思っても夜は疲れてやる気にならない。

そんなことより、私は子供の頃からずっと
どうしたらいいのかわからなかった。
何をするにもだ。
スポーツの部活に入っても、どうしたらいいのかわからない。
ほんとうにわからないのだ。
決められたことはやるけれど、
それでどうしたらいいのかわからない。
社会人になって働き出しても
それでどうしたらいいのかわからなかった。
仕事はできた。
言われたことも言われないことも
全部やった。
だけど、それでどしたらいいのか
わからなかった。

みんなはどうしてきたのだろう?
例えば大学で勉強をしていた時、
これで自分はどうしたらいいのだろう?
とわかっていたのだろうか?
私はわからなかった。
目標とか希望とか夢とか
何も無かった。
漠然とした未来に向かって動いていただけだ。

目標とかがあったらもっと違っていたのだろうか?
そうだな、、例えば自分は将来自動車修理の工場を持って
それで生計を立てよう、とか?
あるいは会社で課長や部長を目指して働くとか?
あるいは自分の会社を持つとか?
自分の会社は持ったけれど、そうしたかったから
社長になったわけじゃない。
できることならそういう目的を持たずに暮らしたかった。
ずっとそうだった。

今、残りの人生も先が見え始めて
これからどうしたらいいのか?
全くわからない。
最後ぐらい目的を持った生き方をする?
たぶんそうした方がいいのだと思う。
だけど自分は時間の流れから取り残されているような
気がする。
何をやろうとしても時間はそばから通り過ぎてしまう
そんな気がする

まあ、やってみようか

9/04/2026

神津さんに会ってきた

 前に会ったのは実にコロナの時だから、3年前かな?
コロナ期はずっと面会時間と面会できる人が限られていて
それを神津さんの奥さんが管理していたため、家族以外は
面会に行けなかった。
それでそのままになっていたのだけど、先日の電話で
奥さんが亡くなってしまったことを聞いた。
それで野池さんと二人で行こうと思っていたのだけど、
野池さんの都合でだいぶ後になりそうだったので昨日行ってきた。
もう時間制限も人数制限も無い。
私が渋谷から電話で「あと30分くらいで着きます」と
言ったため神津さんはずっとロビーで待っていたそうだ。
そのホームの人がそう言っていた。

神津さんは前に会ったときとほとんど変わらなかった。
腕と足が少し細くなってしまっていたけれど、
話もちゃんとできていた。
ちゃんとというのは正確ではないかもしれないけれど、
前回とおなじくらいには話ができた。

神津さんはゴルフをしていて脳溢血?かなにかで倒れてしまった。
だから直後は話ができないんじゃないかと思っていたけれど、
時々何言ってるかわからない時はあるけれど、ちゃんと話していた。
こっちが何かの質問をした時、全く関係ないことを言ってきたり
したけれど、考えてみるとずっと以前からそういう傾向はあったな
と思った。

前回会った時に「俺はもうこの1年で死ぬ」と言っていた。
そのことを神津さんは覚えていて、
「俺はこの前1年で死ぬと言ったけど、まだ生きてるよ」
と笑っていた。
それで「いや神津さん、その前10年くらい前にレストランで
会った時は『俺はあと50日で死ぬって医者に言われた』って
言ってましたよね?」というと笑って「そうそう」
と言っていた。

「今月また来ますから」と言ってホームを後にした。
そこのホームは高級なホームで料金も高い。
神津さんは「俺、金はあるんだよ」と言っていた。
それはほんとだと思う。
ビルを売ったり家を売ったりしたから。
息子たちも金持ちだし。

気になったことがある。
ホームの会話できる場所にはいくつもテーブルが
ある。神津さんは最初その空いたテーブルに車いすで行って
ここで話そう、といったのだけれど、
横に座っていたおばあさんが「そこはもうすぐ人が来るの」
「みんな予約しているから」と言ってきた。
神津さんは露骨に嫌な顔をして「ここでいい」と言って
いたけれど、ばあさんがうるさく言うので、
「神津さん、向こう行きましょう、ロビーの方に」
と言って椅子を押してロビーに行って話をした。

後で考えて、あのばあさんはただ意地悪をしたかったのかも
しれないと思った。
神津さんは何も言わなかったけれど、その時の顔が
もううんざりだよ、という顔だった。
高級ホームでもいろいろ嫌なことがありそうだった。

9/01/2026

蜃気楼

 子供の頃、蜃気楼を見たいと思っていた。
子供雑誌や科学雑誌などにたびたび蜃気楼のことが出ていた。
だから実物をみたいとずっと思っていた。
最初に見たのはもう大人になってからだと思う。
海の沖に船が浮いてみえた。
ああ、蜃気楼だ、と思った。
そんなに感動はしなかった。
その後何度か同じようなものは見た。

今年の8月15日午後2時頃に家から見えた蜃気楼は
ちょっと驚いた。
左から大型のコンテナ船が右の方向に水平線の上を航行していた。
まずその大きさが異常だ。
しかも水平線の上に浮いている。
そしてしばらく行くと、今度は右手から同じ型の船が左に航行していた。
そして交差して右からの船は左の方へ進んでいった。

これはおそらく同型の船がたまたま同じ海域で交差したのだと
思うけれど、最初は左からの船の幻影が右から現れたのだと思った。
まあ、それも確証はないのだけど、水平方向への幻影というのは
今まで無かったようなので、たぶんそういうことだと思う。

こういう不鮮明な映像は不気味で怖い。


8/30/2026

チェリー1000クーペ

 研究室のと同じネガに私の車の写真があった。
これは理工学部の窓から下の駐車場を撮ったものだ。
たぶん1974年。

57番が私の車、チェリーだ。
この場所は教職員用の駐車場だけれど、神崎先生が
駐車証を私に貸してくれてそれをずっと使っていた。
他にも学生でここに停めている人は何人かいた。
隣の研究室の女性がベレットに乗っていたなあ。
どれだかわからない。
確かどこかの製薬会社の令嬢だったと思う。
私の左隣(56)はチェリーX1だった。
よく見ると奥の20番台にもX1がいる。

学校に入る時に守衛さんがいたけれど、駐車証しかみないから
学生でもぜんぜん問題なかった。
それにその駐車証を見えるようにしておけば渋谷のキャンパス
にも入れた。適当なところに駐車できた。
あの頃はすごく自由だった。

思い出した。
ルーチェに乗っていた学生、名前は忘れたけど
確か高速で60キロオーバーで捕まったとか言ってた。
その後どうしたかは知らない。

小沼

 古いネガを見ていたら小沼の写真が出てきた。
この写真を見た記憶が全く無い。


学校の松本研究室で撮った写真だ。
これは私が撮ったのだろうか?
前後を見るとたぶん私が撮っていると思う。
この小沼の顔がいい。
素晴らしくいい。
いつもこんな風で、少し笑ったように、
「なんだよ、そんな写真撮ってどうするんだよ」
と言ってるように思える。
小沼は頭が良かった。
私の64倍くらい良かった。
つまり私より6ビットくらい上だった。

手前で本?を見ているのは本庄谷って言ったかな確か。
笑い方に特徴があった。
彼も私より頭が良かった。
しかしいつも先生に厳しく言われていたように思う。
私と分野が違ったので何をそんなに言われてるのかわからなかった。
とてもいいやつだった。

私が車の調子を見ている写真もあった。
それは他の誰か(小沼か?)が撮ったのだと思う。
この車はチェリーなので沼田の方に研究室で合宿に行った
時の写真だと思う。
メガネは。。。松井君って言ったかなあ?
年齢は下だった。
確か、お父さんが岡山県貨物の関係の人だったかな。

この3人で卒業してからなにがしかの連絡をとったのは
小沼だけだ。
彼がドイツのマックスプランクにいた時にメールで2回やりとりした。
あのメールも奇跡だった。
適当に彼のいそうな部署の人に英語で小沼に連絡取りたい
と書いて送ったら、調べてメールアドレスを送ってくれた。
日本語のメールができないのでアルファベットで
やりとりした。
彼はどうしているだろう?
生きているうちに会いたい人の一人だ。

8/26/2026

Ai-PC

 世界に取り残されたと言われている日本だけれど、
黙ってると日本の中でもどんどん取り残されてしまう。
ついこの前までAiと言えばインターネットを介して
Chat-GPTだのGeminiだのをアクセスして利用してい”た”
わけだけれど、それも変わりつつある。
画像処理とか文章処理などは自前のPCで行うようになってきている。
これはインターネット以前の自宅のパソコンが自分のパソコンでしか
処理できなかったことをインターネットができて世界中のデータを
扱えるようになったこととおなじくらいすごいことだと思う。
家のパソコンでAi処理ができるわけだから。
家の中に人工頭脳を持ったロボットがいるようなものだ。
インターネットについなでChat-GPTを呼び出さなくても
自分の家のAiにやらせればいい。
しかしグローバルなデータを自宅に持つことはできないだろうから
それはインターネットを介して得ることになると思う。
あるいはそれも自宅に巨大なサーバーを持つことになるのだろうか?

今のところそういうAiの機能を持たせるにはPCはかなり高価
なものになりそうだ。
たぶん100万円以上は出さないとまともなAiはできないようだ。
でも初期のMacなんか何百万もしたわけだから、それも
直に適切な価格になっていくのだろう。

いずれにしても、キーワードとしては「インターネット」
の次が「Ai」なことは確かだ。

今のようにPCでブラウザーを開いてパチパチやってる
ようなのは、じきにガラパゴス世代と言われるだろう。


1971年7月と8月

 1971年というのは大学に入って2年目だった。
8月6日は箱根のピンクフロイドのライブがあった。
その話はどこかに書いた。
知らなかったのだけどグランドファンクの嵐のコンサートいうのも
1971年の7月にあったんだ。
後楽園球場で7月17日だったそうだ。
私はそこまでのファンではなかったから行かなかった。
さっきYouTubeでその時のライブ録音を聞いた。
ステレオ録音だった。
たぶん同じ頃だと思うけれど、前にも書いたけど
新宿の厚生年金会館向いのソウルイートでグランドファンクは
よくかかっていた。
嫌いではなかった。
その後楽園から1か月も経たずに箱根があったんだ。
同じ時期、8月7日に第3回全日本フォークジャンボリーがあった。
今思うと面白い夏だった。