1/15/2025

ちょっと異常な写真好き

 私には理解できないのだが、
数日前、北海道の美瑛町にある白樺並木が伐採された。
あまりにマナーの悪い観光客が畑に入り込んで写真を撮るからなのだが、
今度は伐採されて白樺が無くなった様子を撮っている。
こういうのは何だろう?
「青い池」と言えばワーとそっちへ行き
「セブンスターの木」と言えばワーとそっちに行く
ダイアモンド富士と言えば何十台も三脚を並べた人達が現れる
これは日本人の習性だろうか?
誰かが撮ったのと同じ景色なんか撮りたくないけどね
美瑛町の異常さは撮り鉄の異常さと同じように思う。

北海道に住んでいた時から今まで富良野には行ったことがない
ブームが静かになったら行こうと思っていたけれど
いっこうに終わる様子も無い
写真撮るなら誰もいないところで撮りたい

1/13/2025

TTLハンドブック

 本棚の本を全部出して高校の卒業アルバムを探していた。
結果としては見つからなかった。
ちょっと思い出した人がいて、彼はなんて名前だったかを
調べたかった。
しかしアルバムが見つからない。
どうしたろう?母のアルバムを処分した時に一緒に捨ててしまったろうか?
母の写真は全部スキャンしたのに、自分のはスキャンしていなかった。
ありそうなところは全部探した。
でも無い。

その代わり思ってもいなかったものが見つかった
TTLの規格表だ。
これは毎年出版されていた。
以前は全部年代別に揃えていた。
でもその仕事をしなくなってから全部捨てた。
・・・・と思っていた。
それが奇跡的にあった。
今買うとオークションで数千円する。
ネットで型番を入れればデータは1つずつは出てくるけてど面倒だ。
これがあると探さなくていい。
これが実に89年度版だ。
たぶん一番新しいものを残したわけではないな。
もっと新しいものがあったはずだから。
奇跡的に捨てずに残ったものだろう。


今朝も夢

 今朝も夢を見た。
たぶん5分かそこらだと思う。
時計を見て、うとっとしたら夢を見ていた
家にいる、子供が遊んでいる。3歳くらいのままだ
隣の家まで行って何かやっている。
家に帰る様に声をかける
今日は引っ越しの日なのにだれも何もしていない
車に荷物を積まなければいけないのに
家はきれいなままで静かに時間が経っている

目が覚める
思わず子供を呼びそうになった。
今はここには子供はいない、
そう自分に言い聞かせた
今の状況がゆっくりと入ってきた。
起きよう、と思った

1/12/2025

夢の一貫性

 夢と言うのは毎日ランダムな内容の話を
その日の状況次第で見るものだと思っていたが、
夢にはかなり、あるいは全てに一貫性があるように思える。

昨日見た夢だが、ずっと以前に見た夢に似ていると思った。
夢の中で誰か、とても懐かしい人に会う
それは一瞬の出来事だった
「ねえ君の電話番号教えて・・・」と言う間もなく
何処かに行ってしまった。
「そうだ、あいつが知ってるはずだ」と思って
スマホを取り出して電話をかけようとするが
どうにも画面がはっきりしない
どう操作していいのかわからない
それで電話番号をしってるはずのやつを探すことにした。
そいつは見つかるが電話番号は知らないと言う。
ああ、どうしてあの時聞かなかったんだろうと悔やむ。

・・・という夢は前にも見た。
見たどころか何度も見ている。
パターンが全く同じだ。

それから電車に乗る。
乗るが電車は行き先が違う。
別の電車に乗ろうとして他のホームに行こうと思う。
だけど別なホームはものすごく遠くにある。
やっとそこにたどり着いても入口がわからない。
人が降りて来るところがあったのでそこに行くが
切符売り場も改札も無い。
しかし人々はどんどん降りて来る。
構わず行くとホームがある。
ホームに来た電車に乗ると全く方向が違う。
全然知らない路線を知らない所に向かって走っている。
次の駅で
降りて戻ろうと思うが、戻るためのホームがわからない。
長い階段を登ってホールのような場所にでる。
下に降りる階段が何か所かある。
検討をつけて階段を降りる
下は広場になっていてホームは無い
ホームを探して歩くと本屋がある
本屋に入ると面白そうな本が置いてある
大きな写真集や古本だ
それを眺めながら歩く
本屋にドアーがあったのでそこから外に出る
外は渋谷か青山のあたりらしい
大きな通りが坂を下っている
その先を見ると渋谷のようなビルが建ち並んでいる
あそこまで行けばなんとかなるだろうと思う。
坂を降りて行くと住宅街だ
住宅街を抜けるように降りて行く
遠くにまださっきのビル街が見えている
全然近くにならない
とても疲れる

・・・
このパターンも何度も見たような気がする
街も、遠くに見えるビル街も前に見たように思う。

ひょっとするときちんと出来た夢の世界を回っているだけ
なのかもしれない。



1/11/2025

今残っているもの

 心に残っているもの、記憶に残っているものは
大学時代の5年間
札幌時代の6年間
子供達と過ごした20年間
新しい街で暮らし始めた25年間
全部足してもちょっと足りない
その足りない部分はもういい。
あるいはジャンル別に分けるなら
仕事の部分は全カットでいい全部記憶から消したい

今年からはまた新しい人生にしようと思う



1/07/2025

滑走路の障害物

 あれはないだろう!と思う
まるで航空機のクラッシュ実験だ

もう何年前だろう?
ハングを一緒にやっていた友達が亡くなった
ランディングする海岸にコンクリートの突堤のような構造物に
もろにぶつかったらしい。
なぜ?
と今にして思う
いや、なぜ?と思うのはなぜぶつかったかということではなく、
なぜ死ななければいけなかったかだ。
なぜだろう

彼と最後に会ったのは筑波だった
風の条件が悪くて飛べなかった
田辺さんと一緒だった
彼女もハングの仲間だった
あの時が最後だ

 

1/06/2025

どこへ?

 時々独り言で「帰ろうか」と言う
どこへ帰ろうというのだろうか?
だけどそう言うとどこかに帰る場所があるような気になる
そして今の現実が希薄になりまるで夢のように思える
たぶんあまりよくないのかもしれない
でもたまに出る

音響によるスーパーヘテロダインの実験

 前から考えてはいたけれどやっていなかった実験。
超音波を低周波でAM変調して別のほぼ同じ周波数の超音波で
空中でミキシングして低周波成分だけを聞こえるようにできないか?
という疑問だけど、
それをやってみた。

AMラジオでやってるんだからできそうな気がする。
ごちゃごちゃだけど、前に使った基板の再利用なので。
3つの8038回路で超音波周波数と低周波を作って回路に入れた。


そして2つの超音波スピーカーから音を出した。
音がでていることはマイクで拾って確認した。

写真はかなり粗い変調だけれど、その形によらず
低周波は聞こえなかった。(ごくわずかだけど一定の音で低い音は聞こえる)
2つの超音波周波数は周波数カウンターで合わせて、少しずらせて
音の変化を見たけれど、低周波成分の増減は聞こえなかった。
実際には変調された音は搬送波は24KHzだけれどフーリエ的には
低周波がそのまま見えているからそれが音としてわずかに聞こえる。
その他に音の変化を聴いたけれど、特に変化が無かった。

変調成分がそのまま音になって聞こえてしまっているのかもしれない。



Be here now

 YouTubeをだらだらと眺めていたらRay LaMontagneという名前が
ちらっと見えた
なんだっけ?
なんで知ってる?
と思って開いたらBe here now という歌だった
ああ、知ってる
いつだったろう?しばらくこれにはまってたことがあった
ギターのフィンガーピッキングがいい
まるでPin FloydのGrantchester Meadowのようだ
というかこれは歌い方からギターから
まるでそのままだ。
これは本人は知っていたんだろうか?
どうでもいいけど
しばらく聞いていた


1/03/2025

ICが無い

 改めて電子回路を作ってみようと思っているのだけれど、
ICが無い。
先日8ビットパラレルのADコンバータを見つけて、予備にと思って
2個購入したのだが、確かに8ビットがパラに出ているのだけれど
どうもCPUから読みだすのを設定して作られているようで、パラの
8ビットがフリーで流れるようなADコンバータでは無いようだ。
データシートをちゃんと見るんだった。
それでは8ビットパラで出力されるADコンバータは無いのだろうか?
調べたけれど例えばTRWのADコンバータが海外で売られているのだけれど、
一度使ったものらしい。動作の保証が無い。
それでわかったのは新品も少し前の製造のものも無いということだ。
最近のADコンバータは全部シリアルデータだ。
それを扱うにはシリ・パラ変換しないといけない。
非常に面倒だ。

またメモリーはどうだろう?と調べた。
種類は少ないけれどS-RAMはまだあるようだ。
しかし容量が64Kバイトとか、小さい。
でも8ビットの音なら数秒間は記録できそうだ。
安いので買っておこうかと思う。
ちなみにやはり最近はシリアルデータが主流だ。

こういう特殊?なものはさすがに希少品になってしまっているけれど、
ディスクリートのトランジスタやFETやダイオードやその他の部品は
いまでもほとんど全部入手できる。
できないのはオーディオ用のICとかビデオ用のICとか
特定の用途のものだ。
だから頑張れば昔の回路も再現できる。
ただやっぱりADコンバータが欲しい。
音や映像をどうやって扱えばいいんだろう?
と考えてしまう。


1/01/2025

私はかつて

 街を歩いてて張り出し窓のある家を見ると
ずっと以前にその家に住んでいたような気がすることがある。
そんな家に住んだはずはないのだけど。
子供の頃にその窓から外を眺めていた記憶がある。
日本だったのか・・・
記憶では日本ではなかったような気がする
親の顔は思い出せない
でもほんとの私の親ではないように思う。
その窓の内側に座って外を眺めていた。
部屋の様子も覚えている。
部屋は小奇麗でまるで映画の外国のクリスマスの夜の部屋
のような感じだ。
それにとても懐かしく感じる。

Edward Hopperの絵はあんまり好きじゃない
でも家にはあの夜のコヒーショップの絵を飾っている。
私の趣味じゃない。
しかしEdward Hopperの絵で一つ気になる絵がある。
このガソリンスタンドには行ったことがあるような記憶がある
あるいはこれと似たようなガソリンスタンドかもしれない
だけどこの夕方のガソリンスタンドには懐かしさがある
横浜横須賀道路を走っていると、途中で何かの設備のための
小屋だろうか、がある。
夕方にそこを通るとこの絵を見た時のような感じになる
小屋には電気は点いていない。
でも街灯の灯りで小屋が照らされている
そこ通るのは一瞬だ
でもその一瞬にいつかのどこかの景色が思い出される







12/30/2024

FETトランジスタ

 明日で今年も終わるとテレビで言ってます。
今年テレビが言った数少ない真実の一つです。

今年もここのバカげたブログを読んで(あるいは訪れて)くれている人が
数人いるのは知っています。
その人達がいるからここに書き込む元気というか使命感が少し沸きます。
ほんとは「どうでもいい」とか言ってるくせに。

私は最初に就職した会社から電子技術者として、あるいはその振りをして
仕事をしてきましたが、元々は化学が専攻でした。
その化学の研究室に居た実験助手の先生(神崎先生)が私の本当の
先生でした。研究室の教授は松本先生という先生でしたが。
その神崎先生が私に電子回路を教えてくれました。
化学が専攻なのにです。
というのも私の研究が「溶融塩における酸素イオン」の研究だったからです。
それに使う電子回路は自分で作れということです。

だから化学のことはあまり覚えていないのに電子回路のことはしっかり
覚えていました。
神崎先生とは実験室でギターとリコーダのセッションをしたりして教授に
注意されたりしましたでもその後何度かやりました。
卒業の時、私は化学関係の会社は行きたくなかった。
それで神崎先生の知り合いの小さなオーディオ会社に行くことにした。
そのことを神崎先生は後々まで気にされていたようで、
教授にも怒られたそうです。
でも私はそれで良かったと思ってました。
だから後になって神崎先生にお礼を言いました。

それで結局コンピュータやビデオ処理の機械を自分一人で
作れるようになりました。
そのままずっと来たわけです。
先日(2週間くらい前)ふと思って、
「お前は電子回路基礎の基礎を知らないだろう!?」
ということに気が付きました。
そこを飛ばして回路設計から入っているから。

それで、全ての部品や測定器を全部処分したのに、
もう一度それをやろうと決めました。
抵抗やダイオード、コンデンサー、TTL、アナログIC、
トランジスタその他を買いました。
オシロスコープも買いました。

それで何から始めたかというと
トランジスタの基本的な特性を調べ始めました。
FETも調べました。
私の知ってたFETはジャンクション型のものでしたが、
今はMOS型が主流なようで、
使い方が非常にわかりやすくなっています。
その特性を調べたらいろいろな用途がありそうです。
ちょっと面白い