1/27/2026

そんなことはたいしたことではない

 腕の痛みはなくなった。
また何かのきっかけでなるのだろうけれど、その理由がわからない。
でも腕の痛みなどたいしたものじゃない。
ちょっと眠れなくなるだけだ。
体中に痛みのある人に比べたらへのようなものだ。
と思う。
私はまだ幸せなほうだ。
いままで一番痛かったことは?
いままで一番苦しかったことは?
人に言えるようなことは何もない。

1/26/2026

腕が痛い

 左腕の手術を40年前に受け、神経が磨り減ることは無くなったけれど、
すでに神経が無くなった左手の小指が痛い。
手術前から左手の小指と薬指は神経が無く、思うように動かないのだが、
両方とも神経が無いので触ってもわからない。
だのに痛い!
今朝の4時頃から再発した。
だから4時からは眠れていない。
今も(お昼)時々ピキッツ!と電気が走る。
電気と言うより針が刺さると言った方がいいかもしれない。
これが治まるまで待つしかない。
病院に言っても「神経が無いのだから痛むはずはない」
なのでどうしようもない。
きっとこれは脳のバグなんだと思う。
足の無い人が足が痛むのと同じなんだろう。
もっと年取ってこれが永続的に起きるのはいやだ。

1/25/2026

同期会便り

 小学校から中学校まで同窓会の類は全く知らない。
たぶん連絡先を誰も知らないから。
高校だけは一度同期会に出たことがあるのでホームページを知っている。
私は第21期卒業。
ホームページには同期会の写真が載っている回がある。
私が行った回はもう消えている。
私の兄も同じ学校なので出ているかと写真を見たけれどいなかった。
そういうのには出ていそうだけど出なかったみたいだ。

そのページには最近の20回分の記事がある。
一番年長なのは第14期だ。
私より7歳年上の人達だ。
写真があったので見てみた。
なんか自分たちとあまり変わりない感じだ。
そうか、ある程度年齢が行くとあまり変わらないのかもしれない。
70過ぎも80過ぎも変わりないのかもしれない。
私が見てそう思うのだから若い人が見たら
もう全部同じだろう、きっと。

じゃあ10年後の人達はどうだろう?
と思って第33期という人たちの写真があった。
これは、ちょっと違う。
けっこう若い。
あるいはけっこう若く見える。
この世代の違うはけっこう顕著かもしれない。
私も70を過ぎて老人顔になってきた。
妻からも言われる。
だけど70前はそんなことはなかった。
YouTube の過去の動画を見てもそう思う。
たぶん老人顔になるのは70歳が境のように思う。

そんなことはどうでもいいけど、
最近特に人の名前を思い出せない。

1/21/2026

駐車場の料金管理

 最近ここら辺の大型ショップの駐車場料金はタダか時間で料金を取る
方式だけれど、昔の様に駐車券を出口で清算するというのはほとんど
無くなっている。
皆入口で車のナンバーを読んでその番号で管理している。
特に横須賀に引っ越してきてからその方式のお店が多いことに気がついた。

車のナンバーを読み取る機械だけれど、
私も1990年~2000年くらいの間にそのシステムの開発に
かかわったことがあった。
その頃はコンピュータのCPUの構造がまだ古風な構造だったから
ひとつのCPUが全てを行っていた。
しかもクロックが数メガHzだったから画像処理を行うには遅かった。
それでもナンバープレートの位置や大きさを限定すれば
数秒で読めたと思う。
そのアルゴリズムを考えていた頃を思い出すと、
もうほんとに基本的なやり方でやっていた。
気の利いた方法をやるにはCPUがあまりにも遅すぎた。

最近はクロック自体その当時の1000倍から数千倍に早くなっているし、
CPUもマルチコアになって、当時からは考えられないほど早くなっている。
CPUだけでなくGPUを使っているかもしれない。
だから瞬時にナンバープレートの番号は読めると思う。

そこで思ったのだけれど、車が入ってきた時にその画像だけ
撮影してメモリーしておいて、あとでゆっくり処理すれば
昔のコンピュータでもできるかもしれないなと思う。
たぶんコンピュータを2台くらい並列にしておけば次々入ってくる
車にも対応できるんじゃないだろうか。

そこまで行かなくてもとにかくその客が帰るまでに処理できれば
いいわけだからそんなに高度なことはしていないかもしれない。
ほんとうはどうなんだろう?

と思っていたが、調べてみると1台のカメラで数レーンの
ナンバー読みとりを瞬時にできるのが今のシステムらしい。
時代は結構すごいことになっている。







1/18/2026

理工学部消滅?

 私は青山の理工学部だったのだけど、つい最近のニュースで
中央大学の理工学部が無くなる、という話があった。
中央大学の理工と青山の理工は当時同じくらいのレベルだった
と思う。少なくとも私はそう思っていた。だから中央大学の理工は
受けなかった。上智と工学院を受けた。
めでたく上智は落ちて、工学院と青山は受かったので
青山に行ったわけだ。
たぶん中央も受ければ受かったと思う。
なぜ青山にしたのかよくわからない。
なんか御茶ノ水の方って好きじゃなかったからかも。
理科大も受けなかった。
じゃあなんで上智は受けたか?というと上智はちょっと離れていた。
四谷だからね。

ああ、それで受験の時のことは上智ははっきり覚えているけれど、
青山も工学院も全く覚えていない。
上智は駅から土手の道を歩いて学内に入ったのをよく覚えている。
松の並木で右にお濠が見えていた。
教室に入って問題用紙が配られた時も
なぜかすごくよく覚えている。
青山は覚えていない。
どこで試験を受けたのかも覚えていない。

上智は受からなくて良かった。
どっちにしろ大学に入ったら勉強しなかったから。
あれはなぜだろう?
高校の頃はあんなに好きだった数学も
大学に入ったら全く見るのもいやだった。

ほんとに卒業できたのが不思議だ。
だから今でも試験問題が全くわからない夢や、
単位が足りなくて卒業できないんじゃないか?
と焦る夢をよく見る。
なんで今になってまだそんな夢を見なくちゃいけないんだ?

青学の理工学部は継続するのだろうか?
一説には文科系学部で集めたお金が全部理工学部に行っている。
というのがあったけれど、ある程度ほんとなんだろうな。
計測器や研究機器の値段って並みじゃないもの。
青山の理工が継続しようがどうしようが、もう関係無いけれど
日本にとって理学部、工学部は必要だろうな。

1/16/2026

宇宙は膨張していない?

 昔は宇宙の大きさ、他の星や銀河系までの距離を測るのは
赤方偏移による方法だった。
ところが最近は他の方法が色々と開発されて星や銀河系の距離
が正確に測れるようになったらしい。
ところがその方法で計った距離と以前の赤方偏移による方法で
計った距離とでは値が異なるという現象が起きているらしい。
つまりどっちが正しいのか?ということになる。

様々な解釈があるらしいが、面白いのは両方とも正しい、
という説だ。
考えてみると赤方偏移により算出した距離は正しいはずだ。
観測した光の変移から算出したのだから、観測値として正しいはずだ。
一方最近の観測方法も理論的にも技術的にも正しいらしい。
だから最近の観測値も正しいのだろう。
その両方が正しいとして、なぜそうなるかを考えた時に
「宇宙は回転している」ということにすると両方の観測値が
正しくなるらしい。
そこには宇宙が「膨張している」という仮定は必要なくなるらしい。
宇宙が回転していることによっても赤方偏移が起きるらしい。

その理論が正しかった場合、宇宙は膨張する必要が無くなる。
ビッグバンも必要ない。
必ずしもそうでは無いかもしれないけど宇宙はビッグバンによって
生まれ今どんどん膨張しているという考えも必要なくなる。
宇宙はかなり静的な状態にあるのかもしれない。

これによってもたらされるのは
「ビッグバンの前には何も無かった」という説、
はありえないことになる。
あるいは宇宙の膨張により宇宙の端(?)では光の速度を超える、
ということも必要なくなる。
宇宙は静止した巨大なニューロン構造のまま
永遠に存在して来たし、これからも永遠に存在し続ける。
というつまらないことになるらしい。

1/15/2026

Arctic

 という映画を観た。
いい映画だったけれど疲れた。
字幕も翻訳も吹き替えも無い映画だった。
たぶん英語だと思うのだけど文字は何かどこか他の国の文字みたいだった。
北極圏に墜落した飛行機のパイロットが一人、生き残ろうとして
氷の下から魚を釣ったりしている。
それでたぶん毎日の日課として救助信号を山の上で出していると、
たぶんそれに気づいたヘリコプターが助けに来る。
しかし強風のためそのヘリコプターも墜落してしまう。
ヘリの胴には韓国国旗がある。
墜落したヘリに行くと機内に女性が一人瀕死の状態でいる。
外には男の遺体がある。
何とか女性を助けようと考える。
それでヘリにあった地図を元に人のいるところまで彼女を
そりに乗せて連れて行こうと考える。
そこからがとにかく疲れる。
とても大変な苦労をする。
1時間40分ずっとそれだ。

やっと何かを成し遂げるとその先に絶望が待っている。
何度も。
ああ、そういうことってあったよね。
と思う。
ほんとにこれで行けるのか?
って何度も思ったよね。
でも今ここにいるのはそのなんとかをやってきたからなんだろう。きっと。
そういうことにしておこう。
絶対にもうどうしようも無い、と思っても
なんとかなるものだ。
映画を観ながら自分のことを考えていた。

映画は最後の0.5秒くらいのショットでハッピーエンドとわかる。
それが救いだった。





1/04/2026

夢の中の曲

 初夢はおかしな夢だった。
友達が病気になった。
彼は家に帰って寝るという。
彼が家に帰る時に歩きながら歌を歌っていた。
英語の歌だ。
フォークソング。
それもオールドタイミーのフォークソングだ。
その歌は知らない歌だったけれど、
メロディーは聞いたことがあるように思った。
彼は完全に1番の歌詞を全部歌った。
歌い切った。
とてもい歌だった。

目が覚めた時にはメロディーも歌詞も思い出せなかった。
だけどその歌の感じだけは覚えている。
もう一度聴きたい。

12/30/2025

タイトルのわからなかった曲

 メロディーは覚えているのだけど、タイトルがわからない曲
というのがいくつかある。
ふとある時にそのメロディーが浮かぶのだけど
「なんだったかなあ?」と思う。
だいたいはその曲をラジオやテレビでやっている時に
運よく曲名を言ってくれることがあり
それでわかる。

今日はそのわからなかった曲の1つがわかった。
曲は「Loch Lomond」というスコットランドの曲だった。
そういえばバグパイプで演奏したのを聴いたことがある。
それも曲名がわかってから思い出した。


なんかすっきりした。
頭の中だけで繰り返しやられて、すごく気になっていた。
もちろんこの曲には歌がある。
「君と私が行きたかったあの美しいロック・ローモンド」
声は出ないけど上のハモを歌いたい


12/24/2025

75回目のクリスマス

 もうそろそろ終盤を迎えようといているわけですが、
もう75回もクリスマスが来た。
たぶんそれと意識して迎えたのは60回くらいだと思うけれど。
覚えているクリスマスの日はわずかだ。
小学校6年の時、夜暗くなってから友達と畑に積もった雪を
かき集めて遊んでいた。
あれは確かクリスマスの頃だ。
札幌に居た時宮の森から車で盤渓の方に行き、
札幌の街の夜景が見えるところで車を停めて
ケーキとコーヒーを飲んだ。
あれはクリスマスイブだった。
それからたくさんのクリスマスがあった。

今日は2025年のクリスマスイブ。
2025年だ。
昨日からの雨がまだ降っている。
今朝の海は霧の中だ。
自衛隊の軍艦が太古の船のように思える。


12/14/2025

不思議な偶然

 時々こういうことが起きる。
例えば誰かと何かの話をしているとテレビで同じことを話している
ということはかなり頻繁に起きていると思う。

今日の偶然は、古い機関車の事故の写真だ。

ラウンドハウスの機関車事故(Roundhouse Locomotive Crash 1913)
と書かれている。
建物から蒸気機関車が飛び出しているものだ。
この写真だけれど、このところフェイスブックに流れてくる写真に
2度ほど出てきた。
「ああ、これは本当の写真だろうか?」とその時思った。
でも詳しくそれを探ることはしなかった。
でもその写真はとても記憶に残るものだった。

それで、今日夜の9時頃YouTubeに全編見れる映画があるので
それのどれかを見てみようと思いたまたま「ヒューゴの不思議な発明」
というスコセッシ監督の映画があったので見ていた。
すると映画のシーンとして同じシーンが出て来て驚いた。
このシーンを見るとフェイスブックに出てきたのはこっちの写真か?
と、どちらがそうだったかわからなくなる。
でもフェイスブックで見た写真は周りに人がいたので最初の写真だと思う。

ところがさらに探してみると同じような写真があった。
フェイスブックで見たのはこれのような気がする。
この写真には、
1895 STEAM TRAIN LOCOMOTIVE 721 WRECK PHOTO RAILROAD STATION CRASH IN PARIS
と書かれている。それにこの写真の事故の場所は映画と同じだと思う。
これはヒューゴの映画の撮影の時に撮った写真だろうか?
いや、写真の感じからして昔の写真だろう。
ヒューゴは2012年の映画だ。
恐らくこの写真を元にデジタルに作成したものだと思う。

この説明がほんとうだとするとジョルジュ・メリエス(ヒューゴの映画の
中に登場する映画監督)は1868-1938だからこの事故を見ているはずだ。
でもメリエスがこういう事故の映画を撮っていたかは知らない。
ヒューゴの映画ではこの写真のシーンをかなり忠実に再現している。

ま、とにかくフェイスブックで見た写真と同じような写真が
見ていた映画に出てきたことが面白かった。







12/12/2025

夢の感じ

 夢を思い出そうとすると、夢のシーンはいつもと同じような
日常のシーンとして思い出すが、
実際の夢のシーンはそれとは全然違うということを
先日思い出した。

ショッピングセンターのフードコートで軽く夕食を
食べていた時、フードコートは閑散としていて
広いエリアにテーブルとイスが整然と並んでいた。
それを見ていたら、いつかの夢のシーンが混ざってきた。
はっきりと思い出せないのだけれど、
夢ではやはりテーブルがたくさん並んでいた。
しかしそれは木やプラスティックで出来ているのではなく、
野菜と何かわからない蔦のようなもので出来ていた。
その野菜がテーブルなのだ。
いやテーブルの形はしていなかった。
でもそれがテーブルだったのだ。
その間を歩いて行くのだが、とてもフワフワした感じだった。

それは一瞬のことだったけれど、
夢は論理的にはできていないと思った。
それは最近のAiが作った不気味なSF映像と似ている。
だけど夢の場合はおそらく夢の論理でできていて
全然矛盾が無いように思えた。

夢をはっきりと夢の中の論理で思い出したのは
恐らく初めてだったと思う。