8/30/2025

駅ピアノとか・・

 駅ピアノとか街ピアノとか、いろいろなところにピアノがあって
引きたい人が弾くやつ
あれ、うるさいと思っている
全てではないけれど、だいたい90%くらいうるさい。
それは私だけかと思って妻に聞いたら
やっぱりうるさいらしい。
それで良く観察して見たのだけど、
タッチというか鍵盤をたたく強弱が無いのに気付いた。
みな一生懸命に練習した曲を弾いている。
だから一本調子なのだ。
同じく街角で弾き語りしてるおっさんも同じ
がなるように歌っている。
あれだ。
つまり指一本一本に気を遣っていない。
ばんばん弾いている。
はいよくできました!ということなのだけど、
人に聴かせる演奏じゃない。

まれに「お!」と思う演奏に出会う。
覚えているのは高校生くらいの男の子が駅で弾いていた時、
曲は知らなかったけれど、音一つ一つに気を配って弾いていた。
あの子はきっといいピアノ弾きになっただろう。

8/26/2025

1990年

 1990年にCDを作ろうという話があって、
皆集まってスタジオで歌を録音した。
私が知ってる人もいたがほとんどはWiliamのつながりだった。
この一連の写真はビデオから撮ったものなので画像が粗いけれど、
それはそれでまたいい。
(ビデオをハードコピーしたプリントが残っていた。元のビデオテープは無い)
なんで1990年だったのかわからないけれど、
おう!斉藤君だ。ほとんどこの頃以来会っていない。
なんでネクタイだったんだ?
いや、これって1990年だった?
なんかもうよくわからない。
野呂君はその後何度か会ってるような気がする。
吉野はついこの前、花輪氏の葬儀で会った。
名前が思い出せない。
ひょっとして古川氏って言ったっけ?違うかな?

この左下で笑ってる二人は全く覚えていない。
このミキサーの人はなって言ったかなあ?
先週くらいまで覚えていたんだけど。

これって相川君?
何度も見てると違う人のようにも思えてくる。


もうとにかくギターはこの人だね。
このスタジオで何日くらいやったんだろう?
最後にもう一度一人で行って何かの確認をしたような記憶があるけど。
もうあまりに遠い事でよく見えない。







8/25/2025

アンビエント音楽

というのがYouTubeとかに多いのだけど、
「音楽」なんだろうか?
・・・ということはエレベータ音楽のとこに書いたような気もするが。
つまりシンセにきっかけになる音を与えて、それを勝手に繰り返している音に
他の音を重ねて”あたかも”曲のように仕上げているのだけれど、
”音”ではあるけれど、”音楽”だろうか?
それはまだ自分でノブを操作したりしているから”自作”ではあるけれど、
最近ではドローン・シンセとかいうのがあって、
もう勝手に音を出して”あたかも”それらしい音楽風に音を出せる。
そうなるとそれは機械のノイズでしかないのではないだろうか?

と言うのは序章なのだけれど、
アンビエント音楽という”あたかも”音楽”っぽい音は
あれは”音楽”なのだろうか?
シンセを使わずともそれらしい”音”は作れると思う。
しかし”音”だ。それは。
と書いたところで「ミュージック・コンクレート」のことを思い出した。
ミュージック・コンクレートを生み出したピエール・シェフェール自身が
後年「あれは無駄だった」とか言ってるらしいが、
作品を聴いた感じではあれは”音楽”だと思う。
楽器の音が生音に代わっただけで、あれは十分音楽のように思う。
スタンリー・キューブリックがそれを”ごみ”と言ったらしいけれど、
そういうならリゲティの「レクイエム」だって十分”ごみ”だ。
なぜリゲティーをあの映画に使った?

ドローンシンセ音楽やアンビエント音楽はゴミだが、
ミュージック・コンクレートは音楽だと思う。
あれがだめなら絵画のコラージュもゴミだ。
ポロックの絵なんかゴミ以下だ。
だけどコラージュは「絵画」だと思うし、ポロックも絵画だと思う。

なぜならそこに作者の感情や思いや行為が凝縮されているから。
ミュージック・コンクレートもそう。どの音をどういう風に組み上げるか
作者はそれを考えて構成しているから。

だけどアンビエントもドローンもほとんど機械任せだ。
あれこそ「ごみ」だと思う。

・・・ああ、アンビエントはそれでもまだ少しましかもしれない。

8/23/2025

仕事は断る

 もう仕事を辞めて久しいけれど、
今でも受けている人が何人かいる。
葬儀屋さんとピアノの先生と安全管理会社と車好きの人とDJやってる人だ。
あとは居ない。
のだけれど昨日電話があった。
出なかった。
電話の相手は知っている人だけれど
電話に出ればその仕事をしなくてはいけないから。
申し訳ないけど電話には出なかった。
留守電とメールも入っていた。
どっちも出なかった。
困っているだろことはわかった。
でももうやりたくない。
面倒なのだ内容が、いくつかの曲を切り貼りして
新しい曲を作るのだけど
始めたらのめり込むから。
適当につなげればいいのだろうけど
それでは私が満足しない。

というわけでもう他の仕事はしないことにした。

8/22/2025

おしん

 今日テレビを見てたら「おしん」のことをやっていた。
驚いたことに「おしん」って1983年だったんだ!
もっと前、例えば1968年とかのような気がしていた。
「おはなはん」の次くらい。
1983年と言えばああた、結構最近でないですか。
私札幌から東京に戻って深川で暮らし始めたころだ。
え~!あの頃だったのかなあ、当時の事と「おしん」のテレビが
重ならない。
1983年は小林克己のベストヒットUSAの印象だなあ~
それとあの「おしん」はどうしても重ならない。
だいたい「おしん」って見てただろうか?
後から見たような気がするなあ。
だからかなあ?



8/21/2025

もう一度見たい夢だった

 例によって今朝見た夢の話

私と妻はどこかに出かけるところだった。
私が少し遅れたので妻は先に出てしまった。
私が後から追ったけれどどこに居るのかわからない。
それでスマホで聞いてみようと思いスマホをとり出す。
そして藤棚のような木の下の机のところでスマホで
電話をかける。
でも出ない。
「ああ、まいったなあ、どこにいるだろう?」と焦る。
そして行っただろうと思う方に歩いて行く。
すると途中でスマホが無いことに気づく。
ああ、さっきの藤棚のところだと思い、そこへ行く。
しかし机の上に置いたはずのスマホが無い。
困った。
妻も不安に思っているだろう?と心配になる。
しかし、仕方ないので向かったと思う方に歩いて行く。
どんどん歩いて行くと知らない町に入る。
でもこっちだろう、と思いどんどん歩いて行く。
道は山道になって岩場になってくる。
細い尾根のようなところを這いながら行くと
その先で道が無くなって尖った槍の先のようになっている。
それ以上行けない。
私の後から女性があるいて来ていたようで、
引っ返して元の下の方に向かって歩いて行く。
道は片側が深い谷のようになっていて怖い。
何とか下まで降りる。
そこに工事をしている人達が休憩していた。
その一人に「ここは何県のなんというところですか?」
と聞く。
その人は「何言ってるんだ。なんでそんなこと聞くんだ?」
と取り合ってくれない。
仕方なく先を歩いて行く。
道はまた急な坂道になって来る。
上に行くと山の下に大きな湖が見える。
その向こうには山がつらなってすごくきれいだ。
カメラを持っていないことを後悔する。
ふと後ろを見るとさっきの工事をしていた人がついてきている。
「一人だと心配だからと言う。
だけどもうどっちへ行ったらいいか全くわからない。
スマホがあれば地図が出るのにと思う。
どうしようもなく不安になる。

そこで夢は終わる。
いやな夢だったけれど湖の景色をもう一度見たい。




8/20/2025

ロワールの城

 フランスにもドイツにも行ったことが無いけれど、
行ったような気がするのは父が持っていた「ロワールの旅」という
本のせいだと思う。
中学生の頃その本を父の部屋から見つけていつも見ていた。
その本にはロワールの城の写真と旅行記が書かれていた。
だからロワールの城の名前はほとんど覚えている。
父が持っていたからたぶん1960年代後期の出版だと思う。
その本を欲しいと思いメルカリとヤフオクを見たけれど無かった。
その本は日本人が書いていた。著者の名前は憶えていない。
確か今から15年ほど前にやはりヤフオクで探したことがあった。
その時はその本があった。
本の体裁で覚えていた。
その時買っておけば良かった。
今はもう出てこないだろう。

中学生の私はその写真を見てインクペンで絵を描いていた。
写真がカラーだったかどうか忘れたけれど、色分けして描いていたから
たぶんカラー写真だったと思う。
いや白黒だったかもしれない。
とにかく絵はカラーで描いていた。
何をそんなに一生懸命になって描いていたかわからないけど
とにかくたくさん描いた。
でもその後全部捨てた。
今は記憶の中にしか残っていない。
描いている時の三鷹の四畳半の部屋に太陽の光が
ガラス窓から入っていた印象が強い。

8/19/2025

計算尺のこと

 メルカリで¥1000以下で売っているので欲しくなった。
もちろん別に必要だからではない。
もう一度使ってみたいだけだ。
だいたい掛け算と割り算にしか使っていなかった。
実験室では計算尺か手回しの計算機しか許されていなかった。
謎だけど。
電卓のが便利なのに。
電卓は当時関数電卓が4万円くらいだった。
高いと言えば高い。
計算尺では加減計算をやったことがなかったと思う。
有効数字3桁で計算できるのだろうか?
という興味もある。

昨日YouTubeを見ていたらオリベッティーの27-2とかいう計算機を見つけた。
これは世界一複雑な機械と謳っているけれど、ほんとにそうかもしれない。
YouTubeでは動いてはいなかったけれど、複雑さは十分わかった。
たぶん手回し計算機の入力をキーボードにして、出力をプリンターにした
ようなものだろうと思う。
手回しの部分をモーターで回すようだ。
大きなタイプライタくらいの中に機械がびっしり詰まっている。
もう何かなんだかわからない。
だけど動かせばまだ動くような感じだった。
それが1967年だというのだけど、もうその頃は
電子式の計算機があったように思うのだけれど。
たぶんその2、3年後には電卓ができていると思う。
だからオリベッティーの寿命は非常に短かかったと思う。

それで計算尺だけど、
有効数字3桁の計算ならすごく早くできると思う。
というか数値をセットした時点で答えが時差ゼロで出ているのだから
ものすごく早い。
量子コンピュータ並みだ。
ただし手で操作する時間はかかる。
例えば7÷3だとカーソルを7に合わせて
真ん中の尺の3をそのカーソルに合わせる。
すると下のメモリの2.33あたりに1のメモリが来る。
確かそんな感じだったと思う。
対数計算もできた。主要な科学定数はすぐにセットできた。

あれはしかし、今となっては懐かしい以外に使い道が無いだろうな。




8/15/2025

宇宙に行くかもしれないという夢を見た

 私と学校時代の友達小沼の二人が宇宙に行くことになった。
小沼は元々しっかりしたやつだから宇宙に行くのも平気そうだった。
私は宇宙服を着て緊張している。
そして「ほんとうに宇宙にゆくのだろうか?」と
考えている。
気持ちが悪くなったり、
閉所が怖くなったりしたらどうしよう?
と考えている。
周りはすっかり出発の準備をしている。
私はとても怖い。
やっぱりやめよう、と思う。
小沼が笑いながら私を見ている。

そういう夢だった。

宇宙へ行くという状況を考えたことが無かった。
だから夢でそういうことになって
とても不安だった。
今考えても、絶対宇宙になんか行きたくない。
ハングで空を飛ぶのも危険だけれど、
怖いという感覚は無い。
別にどこかに閉じ込められるわけではないし、
強制的に閉じ込められるわけでもないから。
宇宙は怖い。
無限の空間が広がっているけれど
それが余計に怖い
山から空に飛びだすのとは全く違う
空も広いけれど
宇宙の広さはとても狭いように思う
身動きできない
そういうのはとても怖い





8/05/2025

シェーン

 さっきNHKの映像の世紀を見ていた。
ノルマンディー上陸のことをやっていた。
シェーンを作ったジョージ・スティーヴンスがその時カラーフィルムで
撮影していたということを知った。
そこからパリ解放と終戦を撮っていた。
彼はパリが解放された直後にパリに入ったそうだ。
そこから歓喜に沸くパリ市民やドイツ軍捕虜、
ドイツに加担していたフランス人たちが市民によって
粛清された時もジョージはそこにいた。
そしてユダヤ人を迫害したナチと同様のことをパリ市民が
ドイツ人に対して行っているのを見た。
また彼自身ナチに対しては同様の怒りを持っていたという。
そのような経験をしたジョージがのちに映画「シェーン」を
作った。

それを知るともう一度あの映画を観たくなって
アマゾンで見始めた。
しかしまだ最初の方なのにどうしようもなく泣けてきた。
あの映画を観に行ったのは小学校の6年の時だった。
新宿ミラノ座だった。
大きなスクリーンの前の方で見た。
何がだめかと言うと音楽だ。
映画が始まってすぐにあのテーマが流れる。
しかも演奏は後にレコードになったものとは異なる
映画の上でだけ流れた演奏だ。
それを聴いていたら小学生の時に一人でスクリーンの前に
座っていた時を思い出した。
まるであの時が再現された。
それでたまらなく懐かしくなった。

シェーンの映画はもう何度観たかわからない。
でも今日見たのはまるで初めて見るかのような感じがした。

だから改めてシェーンを見ることはできなかった。
最初の5分くらいしか観れなかった。

またしばらくして、忘れた頃に観てみよう。


8/04/2025

右と左の耳のこと

 前に音程が変って聞こえるということを書いたけれど、
その後はその症状は出ていない。
そのかわりに変なことに気がついた。
綿棒で耳掃除をしていて奥まで綿棒を入れて行くと
鼓膜のところでカサカサと触れた音がする
その深さが右と左で2センチくらい違う。
右の方が浅い。
左はかなり奥まで入れないとカサカサ鳴らない。
みなそうなんだろうか?
ちょっと調べたら同じ疑問の人がいたけれど
その人はもっと入口近くの形状を言っているようだ。
でも鼓膜までの深さがかなり違うのは明らかだ。
そうなると右と左の聞こえ方も違うのではないだろうか?

目は右が生まれつき緑内障で上半分が見えない。
左は正常。

喉を医者に診てもらった時、2か所の病院でレントゲンを
撮ってくれてわかったのは、声帯が半分しか働いていないらしい。
半分の声帯で声を出しているらしい。
動いていないのが右か左かわからないけれど。
時々歌う声が小さいと言われるのもそのせいだろうか?

あとは内臓とかは変ってるところは無さそうだ。


8/02/2025

ご安全に

 最近は工事現場に行っていないからわからないけど、
ほんとにこういう挨拶してるのだろうか?
今仕事で受けているDVDが安全管理の映像なのだけど、
朝礼の最初の挨拶が「ご安全に」なのだ。
これはDVD製作会社の企てだろうな。
そう信じたい。
普通だと「おはようございます!では今日も一日安全に!」
だと思うけど。

それからネットでも気になるものがある、例えばYouTubeのドラレコ
だけど、投稿主は「撮影者様は・・・」と言っている。
なにか非常に気になる。
「撮影者は・・・」でいいのに。
変に媚びた言い方をしている。
同じようなのはいくらでもある。
「投稿者様」「演奏者様」
なんで「様」を付けるんだろう?
それが丁寧で礼儀正しいと思っているのだろうか?
私には非常に馬鹿にしているとしか思えないのだが。


8/01/2025

なんか調子が出ない

 いつもなら「よし!この曲をやろう」と思うと
すぐに取り掛かるのだけれど、
どうもこのところ乗らない。
なんかやってもチューニングが狂っているように聞こえて、
声も音痴に聞こえる。
だから全然乗らないし、長続きしない。

頭には完成形があるのだけど、全然そんなものにならない。
なんていうか響いてこない。
今も停滞中

こういうことは時々あるよね。
だからしばらくしてまた始めると良かったりする。
それまではダラダラしていよう