6/30/2022

会社を止めた 新しく会社の口座をつくろう

 もう去年のことなのだけれど、前の社長が1985年くらいに作った会社を
解散した。もうずっと一人だし資本金だけ大きくて税金も大変なので
やめることにした。
まあ、そこまではいいのだけど、個人会社に切り替えようと思って、
個人会社の屋号の銀行口座を作ろうと思ったらこれが意外に面倒。
家の隣にある信用金庫でつくることにした。
するとまあ、税務署に開業届を出したのでそれを持って行けばいいだろう、
と思っていたら前の会社の通帳を見せたり、家の仕事場とか機材とか
を見に来るという。
それであわてて部屋を片付けてまあ見れる状態にした。
バンクマンがやってきて機材の多さに驚いていた。
いろいろ写真を撮って行った。
話しでは1週間から10日くらいかかると言っていたけれど、
3日目にして口座を作れます、ということになった。
よかったよかった。

しかし年の途中なので青色申告は来年からだ。
こういうところが計画性の無さが効いてくる。
いままでずっとそうだった。
まあ、いまさらその根性はどうしようも無い。

6/28/2022

Back to 1969 フォークゲリラコンサート

 誰かがFBに「フォークゲリラ」の写真を揚げていた。
ちょっと違うかな?と思いながら考えていた。
その「広場」のことではなく日比谷野音で行われていた高石友也さんの
コンサートのことを。
フォークゲリラのことは「After the gold rush」に詳しい。
その中でこのコンサートのことも書かれていた。
フォークゲリラがそのコンサートに「乱入」した様子が
レコードに残っているようだ。そのレコードを私は持っていない。
その時の高石さんとこちらのメンバーの会話が書かれていた。
それを読んでいて、その時のことを鮮明に思い出した。
私はステージに上がる前までは「西部戦線」という黒い旗を持っていた。
ステージに上がってから他の人がその旗を持って先頭に立って
高石さんのところに近づいて行った。
私(とmurayama)はステージの少し後ろにいて先頭の(jiro)と
高石さんのやり取りを聞いていた。
聴衆は最初何が起きているのかわからないようだった。
暫く高石さんとのやり取りがあってから、
会場から「帰れ~!」の声があがった。
私は聴衆を見ていた。
彼らは何を考えているのだろう?と考えていた。
フォークソングファンなのだろうけれど、なんだろう?
全く違う人種のように思えた。
少なくともその時はそう思っていた。
私が向こう側にいたらどうだったかわからないけれど、
あの当時に限れば、向こう側には居なかったと思う。

しばらく二人のやり取りを聞いていたけれど、
全く高石さんの話が分からなかった。
聞き取りにくかったこともあるけれど。
この時の趣旨は前日に話し合ったように
「高石さんはなぜフォークゲリラという名前のコンサートを行ったのか?
高石さんの歌はフォークゲリラとどう関係あるのか?」
だったように思う。
私の記憶ではそういう話だったように思う。
とは言ってもそれは「西部戦線」側で話した内容だったけれど。
西口あるいはその他の人達がどういう趣旨だったのか私は知らない。

そんなわけで私達は何もすっきりせずステージを追い出されるように
その場を去った。去った時に聴衆から大きな歓声が上がったように思う。

After the gold rushに小さな写真があるけれど、
この写真が当日のその場の写真だとすると、
写真の一番手前左の長髪が私のように思う。
その右にいるのがMurayama。
間にあるギターは私のギターではない。
たぶん私の旗を渡した人かJiroのギターを私が預かったのだと思う。
向こうの右側の黒い旗が西部戦線の旗だ。

6/23/2022

タナトフォビア

 死の恐怖症を「タナトフォビア」と言うことを知った。
私が学校時代に苦しんだ死の恐怖症はそういう名前だったようだ。
このタナトフォビアは単に死ぬのが怖いとか、死ぬとどうなるんだろう?
とか親が死んだらどうしよう?とかいう怖いという感情ではない。
それは突然やってくる。
その正確な状態を今は思い出せないけれど、
・・・たぶんずっと忘れようとしてきたから・・・
その時の衝撃は覚えている。

何かちょっとしたことが原因で起きる。
最初のそれは映画「ベンハー」を家族で見ていた時だった。
衝撃が来た。
胸はドキドキしっぱなしで、
耳の中は「キーン」という音でいっぱい。
思考が「あ、死ぬんだ、人はみな死ぬ、僕も死ぬ」だけになる。
何も考えられない。
幸いその最初の時は母が隣の席に座っていた。
私は母の肩に顔をうずめるようにしてじっとしていた。
たぶん母は怖いシーンだったので私が単に怖がっているのだろう
と思っていたと思う。

その次(記憶にあるの)は、大阪に引っ越して新しい学校の校庭に
立っていた時だった。その時は一人だった。
まだ友達もいなくて一人で校庭にいた。
その時(考えないようにしていたのに)「死ぬ」という言葉が浮かんでしまった。
その瞬間衝撃が来た。
これはほんとに衝撃だった。一人だったし、
たぶん他の人から見たら「変だ」と思ったにちがいない。
完全に止まっていた。動きも思考も。
じっと耐えるしかなかった。
頭の中は騒音でいっぱいで、「死ぬんだ、死ぬんだ」という考え
だけでいっぱいだった。
小学校5年生だった。
しかし私があの衝撃を今受けたら耐えられないかもしれない。
今の私は小学生よりも弱いと思う。

それが何分だったかわからないけれど、最初にできた友達の
田辺が後ろから私の肩をたたいた。
救われた。
ショックから少し外れた気がした。
田辺は私に向こうの草むらの所に行こうと言って、
校庭の端の草むらの所に行って座った。
私もその隣に座った。
田辺はそのまま仰向けになって空を見ていた。
田辺はいわゆる秀才だった。勉強もよくできた。
その隣で同じように仰向けになって空を見た。
青い空が怖かった。
できるだけ考えないようにした。
休み時間が終わるころには気分は正常に戻っていた。
あれはほんとに田辺に救われたと思う。

その後も中学くらいまで教室や遊んでいる時に何度も衝撃が襲ってきた。
最後は何時だったか覚えていないが、中学生の時だったと思う。
その頃には対処の仕方というか、どうすれば深刻な状態にならずに済むか
というのがわかって来て、とにかく「死」という考えを排除
するようにしていた。
高校生以降はその衝撃は受けていないと思う。

その恐怖症の名前がタナトフォビアだと知って、
いろいと調べたら大人になってもその恐怖症になる人がいるみたいだ。
たぶんその衝撃を知らない人は「なんで死ぬことをそんなに怖がってるの?」
と思うだろう。
しかしそんなものじゃないんだ。
他の人の話を聞いても私が経験したのと同じだ。
「それは突然やってくる」
みなそう言っている。

大人はみな基本的に一人だ。
そばに頼もしい人がいれば幸いだけれど、たいていはいない。
その時にあれに襲われたらと考えるとほんとに怖い。
これを書いている今でもいつあれが来るかもしれないという恐怖がある。
だからもうやめよう。

追記: これを書いて1時間くらいして大事なことを思い出した。
   その衝撃の間、不思議な騒音が鳴っているだけじゃなかった。
   見ている視界がとてもまぶしくキラキラ輝いていた。
   まるでものすごく明るい照明を当てられたように。
   その衝撃の間ずっとそうだった。
   そのことを忘れていた。

札幌 ディビークロケット

 以前のブログにも書いたけれど、札幌にディビークロケットというレストランがあった。
場所は南一条西25丁目だったと思う。
「と思う」と言うのはもう一つ考えられるのが西野の平和の滝につながる道沿いにあった
レストランがそれだったのかもしれない。そのもう一つの名前を思い出せない。
でも南一条の方が記憶が強いからそっちだと思う。
お店が出来た時に行った。
ちょっとアメリカンな感じの奇麗なお店だった。
最初だったので記念品をくれた。
その記念品を実家で見つけてきた。
これが残っているとは思わなかった。
とても懐かしい。
店名だけどずっと「デイビークロケット」だと思っていたけれど、
よく見ると「ディービークロケット」みたいだ。



6/21/2022

バイクに乗った

実際問題、年齢的にも体力的にも中型バイクに乗るのはもう最後だと思っていた。
それで千歳でバイクを借りて近場を走ってみた。
バイクはロイヤル・エンフィールド350のメテオ。
予約では黒に近い色だったのだけど、当日それが修理中とかで
このブルーのやつになった。
実はこの色がいいなと思っていたから奇跡的にこれに乗れた。


 単気筒350ccだけれど、重さが200キロ近い。乗ってみた瞬間に重いなと思った。
走り始めると単気筒の音と振動がなんとも気持ち良い。
あらかじめGoogle Mapでどこを走るかを決めていたのでそのルートを走った。
バイクショップが南千歳の駅前だった。36号線とは線路の反対側。
だから国道に出会うことなく田舎道ばかりを走ることができる。
南千歳の駅から少し南に下ると牧場地帯だ。
馬の。
広々した草原と延々と続く並木道。
前回確か沙流川(日高の方向)の近くの牧場地帯に行った時に
道東まで行かなくても広々した景色はある、と書いたけれど、
今回そこまで行かなくても広々したところはある、とわかった。
実に千歳空港から20分もかからないところだ。

生憎の雨っぽい天候だったけれど、パラパラする程度で
時々太陽も青空も見えた。
景色はとてもきれいだった。

途中、踏切の前でバイクを停めた時、左足の下が砂地だったため
足を滑らせてしまった。
そのままバイクは傾いて横になってしまった。
すぐに起こそうとしたのだけどびくともしない。
本当に「これは無理だ!」と思った。
幸い車が来ないところだったので邪魔にはならなかったけれど、
どうしよう?と思った。
暫く、5分くらいバイクを前にして水を飲みながら考えた。
バイクを起こすのはたぶん数十年ぶりだ。
教習所で習った方法を思い出そうとした。
なんとかハンドルの向きと右手の持つ位置を決めて、
起した。
起せるとは思わなかったけれど、起こした。
しかしもう二度とできないと思った。
汗だくになった。

そんなこともあったけれど、6時間くらい走って
事故も起さずに済んだ。
達成感は無かった。
「もうこれが最後だな」と思った。
もし乗ることがあっても小型のスクーターだろうな。

6/13/2022

バイクに乗ろう!

 木曜日から北海道に行く。
次の日にバイクを借りて走ろうと思う。
もう今回がバイクは最後かもいれない。
知れないけれどまた秋に乗ってる気もする。

今回は千歳空港で借りてそのあたりを走ろうと思う。
時間に余裕があったら日高の方まで行きたい。
でもたぶん今回は近場だけかもしれない。
ビデオを撮ろう。
だから景色の良いところを走るつもり。

景色の良いところってうのはかなり限られる。
北海道をバイクか車で走ると景色の良いところはほんとに少ない。
なぜなら両脇がほとんど木々しか見えない。
ま、自然の中を走ってる感は十分ある。
しかし見晴らしの良い道路なんてほんとに少ない。
長野の霧ヶ峰のような見晴らしの良い高原なんて、車からは無理。
あれ、要所要所の木を道路から5メートルくらいの幅で無くしてくれたら
もっと景色は見えると思うのだけど。
まあ、冬場はあの木々が無いと地吹雪で大変かもしれないけど。

それで、走るところは牧場のあたりを走ろうと思う。
前回は沙流川の近くの牧場に行ったけれど、
今回は千歳近辺の牧場。
それでも十分きれいな景色になるはず。
特に走りながら撮るにはもってこいだと思う。

もう1日時間がとれたら日高の方にも行ってみようと思う。
後は天気だ。
晴れて欲しい。
少なくとも降らないでほしい。




思い出した母のこと

 私が小学生の頃、休みになると私はどこか親戚の家に行かされた。
田舎もそのひとつだった。
私が生まれたいなかは水戸駅から車で30分くらい行った所だった。
当時は内原駅からバスだった。
何度行ったろう? 少なくとも3回は行ったように思う。

いなかは祖母が住んでいた。
一番古い記憶では母の弟がそこにいた。
お祖父さんはいただろうか?
記憶には無いのだけれどずっと後になって
母が私に「お祖父さん怖かったでしょう?」と聞いたことがあるので
ひょとするとお祖父さんも会ったことがあるのかもしれない。

記憶にあるのは私とお祖母さん二人きりの夏休みだ。
私は野菜嫌いだったので大変だったろうなと思う。
母はたぶん私を祖母にあずけて東京に帰ったのだと思う。
私は田んぼの方とか一人で歩いていたのを覚えている。

いつだったか母が一緒にいた時、祖母が縁側に板を出してきて、
その板というのは多分濡れた着物か布をその上に張り付けて
アイロンがけのようにするためのものだったと思うけれど、
その板を縁側から庭に斜めに置いてくれて、
そこを滑り台にして遊べるようにしてくれた。
いったい私が幾つくらいだったのかわからないけれど
笑いながら滑って遊んでいたのを覚えている。
そこに母が来て、「私も」と言って縁側に上って
座って滑ろうとした。
滑ることはできたのだけど、スカートをどこかにひっかけて
破いてしまった。
母は大笑いしていた。
お祖母さんは笑いながら母を叱っていた。

お祖母さんはとてもやさしい人だった。
母は大柄で背が高かったけれど、お祖母さんはちょっと背が低かった。
お祖母さんは広島であの日の後一人で残った家族3人を守って
茨城に連れ帰った人だ。
まだ私を呼ぶ声を覚えている。

訂正:お祖父さんは広島の原爆で亡くなっているから(母の)田舎で
   お祖父さんに会ったことは無いはずだ。
   だからお祖父さんに会ったとすると父方の田舎でだと思う。


6/10/2022

NASAのUFO調査

 ちょっと前に書いたことだけど、UFOは地球にいるということ。
NASAの見解で「UFOが、地球外を起源とするという証拠はない」
と言っていた。
{
NASA said it was interested in UAPs from a security and safety perspective. There was no evidence UAPs are extraterrestrial in origin, NASA added.
}
たぶんUFOが宇宙起源ではないと公式に発言されたのは初めてではないだろうか。
これまではたいていが「気象現象」「流星」「プラズマ」「雲」「飛行機」
などではなかったろうか。
オカルト的には「宇宙人の乗り物」ということになっていたと思う。
それをNASAが宇宙からとは限らないと言ったことは画期的だ。

しかし「じゃあ何?」ということになるけれど、
私は南極が怪しいと思う。
人類的にまだ未知の場所があるとしたら南極だと思う。

もう一つ気になっているのは、もしもUFOが未知のなにがしかの
乗り物だったとしたら、彼らはどういう方法で通信しているのだろう?
電波ではないだろう、たぶん。
電波だったら今までに探知されていると思う。
他の人類が知ることのできない通信方法があるのだろう。たぶん。

少し前に公表されたUFOの公式映像だけれど、
あんな速度で動いているのは、しかも回転しながら、
映像を見ているとちょっと恐怖を覚える。
得体の知れないものは怖い。

地球に生物が現れてからすでに何億年も経っているのだから
その間に他の文明の期間があったかもしれない。
その時に全地球的な壊滅状態があったとすると、
彼らは(今の)南極の地下に逃れたかもしれない。
それからずっと地下で。
大陸プレートの移動があった時どうしていたかは知らないけど。

いつか「彼ら」は人類の前に姿を現すのだろうか?