死の恐怖症を「タナトフォビア」と言うことを知った。
私が学校時代に苦しんだ死の恐怖症はそういう名前だったようだ。
このタナトフォビアは単に死ぬのが怖いとか、死ぬとどうなるんだろう?
とか親が死んだらどうしよう?とかいう怖いという感情ではない。
それは突然やってくる。
その正確な状態を今は思い出せないけれど、
・・・たぶんずっと忘れようとしてきたから・・・
その時の衝撃は覚えている。
何かちょっとしたことが原因で起きる。
最初のそれは映画「ベンハー」を家族で見ていた時だった。
衝撃が来た。
胸はドキドキしっぱなしで、
耳の中は「キーン」という音でいっぱい。
思考が「あ、死ぬんだ、人はみな死ぬ、僕も死ぬ」だけになる。
何も考えられない。
幸いその最初の時は母が隣の席に座っていた。
私は母の肩に顔をうずめるようにしてじっとしていた。
たぶん母は怖いシーンだったので私が単に怖がっているのだろう
と思っていたと思う。
その次(記憶にあるの)は、大阪に引っ越して新しい学校の校庭に
立っていた時だった。その時は一人だった。
まだ友達もいなくて一人で校庭にいた。
その時(考えないようにしていたのに)「死ぬ」という言葉が浮かんでしまった。
その瞬間衝撃が来た。
これはほんとに衝撃だった。一人だったし、
たぶん他の人から見たら「変だ」と思ったにちがいない。
完全に止まっていた。動きも思考も。
じっと耐えるしかなかった。
頭の中は騒音でいっぱいで、「死ぬんだ、死ぬんだ」という考え
だけでいっぱいだった。
小学校5年生だった。
しかし私があの衝撃を今受けたら耐えられないかもしれない。
今の私は小学生よりも弱いと思う。
それが何分だったかわからないけれど、最初にできた友達の
田辺が後ろから私の肩をたたいた。
救われた。
ショックから少し外れた気がした。
田辺は私に向こうの草むらの所に行こうと言って、
校庭の端の草むらの所に行って座った。
私もその隣に座った。
田辺はそのまま仰向けになって空を見ていた。
田辺はいわゆる秀才だった。勉強もよくできた。
その隣で同じように仰向けになって空を見た。
青い空が怖かった。
できるだけ考えないようにした。
休み時間が終わるころには気分は正常に戻っていた。
あれはほんとに田辺に救われたと思う。
その後も中学くらいまで教室や遊んでいる時に何度も衝撃が襲ってきた。
最後は何時だったか覚えていないが、中学生の時だったと思う。
その頃には対処の仕方というか、どうすれば深刻な状態にならずに済むか
というのがわかって来て、とにかく「死」という考えを排除
するようにしていた。
高校生以降はその衝撃は受けていないと思う。
その恐怖症の名前がタナトフォビアだと知って、
いろいと調べたら大人になってもその恐怖症になる人がいるみたいだ。
たぶんその衝撃を知らない人は「なんで死ぬことをそんなに怖がってるの?」
と思うだろう。
しかしそんなものじゃないんだ。
他の人の話を聞いても私が経験したのと同じだ。
「それは突然やってくる」
みなそう言っている。
大人はみな基本的に一人だ。
そばに頼もしい人がいれば幸いだけれど、たいていはいない。
その時にあれに襲われたらと考えるとほんとに怖い。
これを書いている今でもいつあれが来るかもしれないという恐怖がある。
だからもうやめよう。
追記: これを書いて1時間くらいして大事なことを思い出した。
その衝撃の間、不思議な騒音が鳴っているだけじゃなかった。
見ている視界がとてもまぶしくキラキラ輝いていた。
まるでものすごく明るい照明を当てられたように。
その衝撃の間ずっとそうだった。
そのことを忘れていた。