11/24/2015

数学と量子、もっと勉強しとけば良かった

久しぶりに本屋に行った。
しかも2時間以上同じところで立ち読みしていた。

だいたい数学は大学の1年で断念した。
量子力学も量子化学も単位は(確か)とったけれど全く理解していなかった。
量子力学って何だったんだろう?と改めて思った。
それで本屋に行くことにした。
量子に関したコーナーの本を端から眺めていた。
150冊くらいあった量子関連の本のうち基本的なことをちゃんと書いてあったのは2,3冊だった。
それの高い方の本を立ち読みした。
最初の方しか読めなかったけれど、シュレディンガーの方程式がどういう意味なのかまでは
わかった。

そうか、そういうことだったのか。と思った。
学生の頃は三角関数から虚数関数への移行について理解していたのだと思う。
しかしその後の数十年であれが一体何だったのかすっかり忘れていた。
高校の3年間、いや中学からの6年間で数学は公式を覚えて機械的に解くことしか勉強していなかった。だから大学に入って最初の数学(微積分学・線形代数)の内容がほとんど理解できなかった。それで自分はあいかわらず機械的に解くことを考えていた。
あの時単位など気にせずもっと「数学」を勉強すべきだった。

本屋から1冊、1番安くしかもちゃんと書いてある本を買ってきた。
それをまた最初から読んでいる。
三角関数と虚数関数の関係がすんなり理解できた。
何度も読めば自分で最初から解を出せるだろう、とさえ思える。

量子については今まで考えていたことに間違いが多かったのに気が付いた。
なぜ三角関数なのか。
だいたい「波」ではないだろう、と気が付いた。
ラザフォードの原子モデルは間違いだと教えられてきた。電子は雲の様に存在するとか。
改めて考えると結局あの原子モデルは間違えてはいないだろうと思う。
スリット問題にしても、あたかも波のような現象として現われるだけのことだ。
どちらにしても存在確率のことだ。
改めてスリットの現象を考えると、当然のように思える。
あれほど不思議な現象だと思えたのは何だったんだろう。

世界は数学でできているかもしれない。

11/19/2015

子供の頃に一人で観にいった映画

何だったろう?と思い出そうと思った。
たぶん「史上最大の作戦」だったのではないだろうか。
小学校6年の時にノートにヘルメットと海岸の絵を描いていたのを覚えている。
それともう一つよく描いていたのが騎兵隊の旗だ。第7騎兵隊とかの旗だ。
「史上最大の作戦」は新宿のスカラ座だ。前の方の席で午前中から夕方まで観ていた。

それと西部劇をよく観にいった。
それも新宿だった。
「荒野の決闘」(字が違う)とか「黄色いリボン」、「コマンチェロ」、「荒野の3軍曹」、「シェーン」、
「OK牧場の決闘」とか。
「遥かなる大西部」というのがあった「大いなる」ではない。ベンジョンスンが出ていた。
あと何だったかずっとカウボーイソングやウェスタンが流れている映画があった。

新宿の映画館というのは決して12歳の子供が一人で行って良い場所ではなかった。
遥かなる大西部という映画を観たのは3丁目から少し外れた地下の映画館だったと思う。
椅子に座っている人は少なく、逆に壁際によりかかって観ている人が何人もいた。
私は真ん中の席に座って一人で観ていた。別に何も起きなかった。
あとで聞いたらあの映画館はあぶないということだった。

最近はこのあたりの映画はYouTubeに全編アップされていたりする。
ひとつ勘違いをしていたことに気が付いた。
荒野の決闘では最後に保安官が彼女と別れるシーンで終わるが、そこで流れるのが
いとしのクレメンタインだった。保安官は一人で馬に乗って三姉妹の岩(メサ)に向かって
行ってしまうのだけど。彼女は一人取り残される。
「駅馬車」の最後はリンゴと彼女が馬車に乗ると保安官が石を投げて馬車を走らせてしまう。
その最後に流れる音楽は「いとしのクレメンタイン」だとばかり思っていた。
さっき聞いたら「金髪のジェニー」だった。

終わり方としては「駅馬車」の方が好きだ。
典型的なハッピーエンドだ。

11/18/2015

New York 1963, America 1968

やっと風邪が和らいできた。

アニマルズだ。
これを初めて聞いたのはいつだったろう?
アメリカでのリリースが1968年だったようだ。それはタイトル通りなのか。
これはFM放送で聞いた。アルバム全曲放送していた。
その時テープに録音していたのでそのテープを何度も聞いた。

その時は高校3年か大学一年の頃で英語はほとんどわからなかった。
でもこの歌では何箇所か聞き取れるところがあった。
彼らが始めてアメリカに行った時の心境を淡々と歌っている。
何度も聞いていると少しずつ聞き取れる部分が増えていった。
だから、なんとなくだがこの歌がどういう歌なのかわかったような気がした。
smilling face of unknown Bob Dylan
ゴミだらけのグリニッジ・ビレッジだ。
テープは引越しの時にどこかに行ってしまった。

ずっとあとになって私が初めてアメリカに行った時、この歌が突然浮かんだ。
しばらく口ずさみながらLAの街を歩いていた。
あの時は半分仕事だったのでLAでは一人で街を歩いた。

それから40年近くたって。
YouTubeでこの歌を見つけた。
そうか、こういうタイトルだったのか・・・と思った。
歌詞も検索したら出てきた。
そうか、こういう歌詞だったのか・・・と思った。

読み返してみるとあの頃雰囲気だけは受け取っていたのがわかった。
いい歌だ。と思った。

11/09/2015

Vanishing Point

風邪をひいた。
風邪をひくのも久しぶりのように思う。
去年まではほとんど事務所にいたので誰かから風邪をうつされることはほとんど無かった。
今年は家にいるし買い物にもよくでるのでうつってしまうのだろうか。

札幌で風邪をひいたときのことを思い出した。
ひどい風邪だった。
熱がひどかった。
アパートで一人で布団をかぶって寝ていた。
汗がひどくかった。
布団から顔だけだしてテレビを見ていた。
テレビでは映画「バニシング・ポイント」をやっていた。
半分熱でもうろうとしながら見た。
最後のシーンでなぜか思いっきり泣いた。
たぶんあの映画を全部観たのはあの時だけだろう。

考えてみると単なるカーチェイスの映画ではない。
なにかわからないけれど、あれが70年だったような気がする。

この笑顔がいい。
死ぬときはこの笑顔だ。



11/07/2015

後悔先になんとか

前に稲垣足穂のことを書いたけれど、稲垣足穂の分厚い本は確か全部読んだけれど、
覚えていることはほとんど無い。ただ、「失敗した」とどこかに書いてあったと思う。
その失敗したというのは昔出会った美形の少年と後年出会ってその老けた容姿に
ショックを受け「失敗した」と言ったのだと思った。つまりもっと前に親しくしておくのだった、
という意味でだと思う。

おなじようなことを私も先日思った。
昔の録音テープの中に札幌時代に入っていた札幌のフォークソングサークルのものが
あって、その音を聞いていて思い出した。
女性二人組みのデュオいて、そのうちの一人とはよく話をしたように思う。
その二人組みの声がすばらしい。
当時も彼女達の声がすごくいいと思っていた。
だいたいテレコを持ち歩いていくつかのライブを録音したのは彼女達の声を録音したかった
からだということを思い出した。

その音をあらためて聞いてみて、ほんとにいい声だと思う。
当時、もっとじっくり聞けば良かったと思う。
今は彼女達の顔も忘れてしまって、思い出せない。
でもテープに残った歌声はすばらしいと思う。



11/03/2015

量子コンピュータとSF 寝言(2)・・・(3か?4か?)

私が死んでしばらくすればアニリング方式かレーザ方式かわからないけれど、
量子コンピュータはまともに動くようになるだろう。きっと。
ひょっとすると量子ゲート方式の方が画期的な発展をするかもしれない。
しかし、量子の挙動がコンピュータの動きにかかわってくると今まで考えたこともないことが
起きたりしないだろうか。

いつだったかNHKの番組で乱数発生器が人間の活動で乱される(かもしれない)と
いう内容の話をしていた。あれが本当だとするとかなり面白いのだが。
つまり確率に人の意識が影響を与えることができるとすると、いわゆる超能力も
ウソではないかもしれない。
私自身はある種の超能力は存在すると思っている。
例えば「予知」というのはあると思っている。
存在するというと御幣があるかもしれないが、「あたかも予知したようなことが起きる」
という現象はあると思う。
決して「起きた事が、予知していた事だった」ということではない。
あくまでも「予知」が先だ。
これは何度か経験がある。 
山道を歩いていて、角を曲がると池が見えるるはず。と思って歩いていくと池があったり。
それは予め地図で見ていたからだとも考えられるが。この時は一人だった。

アパラチアの山道を友人と歩いていた時に、友人に「屈強な男達が向こうから走ってきたりして・・」
と言って笑っていたら、向こうから学生達が10人くらい走ってきた。

襟裳の県道を夜中に走っていて、「犬だ」と声を出して言ったら見えない角を曲がった先の道の真ん中に犬がいて、知らなかったらひいていた。この時も友人が隣に乗って驚いていた。

仕事で友人と名古屋に車で納品に行った途中、中央道を友人がいい気になって走っていたので、
「この先、道路が規制されて1車線になってネズミ捕りしてるぜ」と私が言ったら、友人が笑って
「こんなとこで規制するわけないじゃん」と言った直後のカーブの向こうでパイロンが並べられ、警官が旗を振っていた。

こまかなものを入れると数え切れないけれど、全部「私にしか」わからないことだ。
だから『私は』予知はあると思っている。

それで、量子コンピュータだけれど、考えられる在ったらちょっと怖い現象だけれど、
「コンピュータの判断結果を考えると現実はこうなってなければいけないはずだ。」
というようなことは起きないだろうか。
つまり前後が逆になるようなことはないだろうか。
計算によると猫は死んでいるからアルファー線は出ていたはずだ。
と言ったような・・・寝言。












11/02/2015

ガラス細工と量子コンピュータ

学校の卒業研究の時は神埼先生にカラス細工を教え込まれた。
細い管を細工するのはだいぶ上手くなっていたと思う。
でも大きな器具は先生まかせだった。
私はよくガラス製の溶融塩炉を壊した。
壊したと言っても、まだガラスが熱いうちに真空ポンプで引いてしまって、つぶして
しまったことが何度かあった。
同じ失敗を何度もするのが私のようだ。

その大きなガラス容器を先生は新しい大きなガラスガラス管をつないで補修した。
補修した後は弱い炎をあてて何時間もかけてゆっくりと冷やした。
ガラス加工には熱処理(アニーリング)が必要だ。
600度以上のガラスをゆっくりと時間をかけて冷ましてやると丈夫な修復ができる。

量子コンピュータはどうやって「計算」するのだろう?と思っていた。
ちょっと読んでみた。
どうやら「計算」をするのではなく、「自然のなりゆき」のようだ。
ガラスや鉄を真っ赤にしてからゆっくり冷ますと安定なものにおちつく。
それに相当することをやらしているようだ。

今のところ「最適化問題」に限定した「計算」しかできないようだ。
つまり熱くしておいてアニーリングすれば安定なところ(最適なところ)に落ち着く。
それと同じ原理を利用しているようだ。

たぶん、私を含め、大多数の人はそのハードウェアがどのように動いているのか
理解すらできない。デジタルコンピュータの黎明期もそんなもんだった。
CPUとその回りのICが何をしているのか知ってる人はわずかだった。

量子コンピュータはその動きだけ見てみるとアナログコンピュータににている。
サイン波に乗数を掛けると勝手に波は大きくなる。
量子コンピュータもあの中では計算やシミュレーションが行われているのではなく
自然現象というか自然の成り行きで結果が出てくる。
そんなもののようだ。

量子コンピュータでグラフィック処理ができるようになる頃まで
生きていられるだろうか。
もし今のコンピュータのように使えるようになったら、
本当にコンピュータの中に一つの世界が作れるかもしれない。