6/13/2015
量子と幽霊について考えてみた
幽霊の典型的パターンは、ある人が怨みや後悔などの思い残しを持ったまま死んでしまい、
その思いが幽霊になって現れるとかだろうか。
つまり、そうではなく別な人生を歩いていたはずの人が、思いとは別の終止符を打たれて
しまったということなのだろう。
例えば、本来なら自分が会社から家に帰って家族と食事をするはずが、途中で交通事故にあって
死んでしまった場合だけれど、
交通事故に遭わずに家に帰っていた可能性もあるわけで、パラレルワールドとかではなく
生きて家に帰った自分の確率があるはず。
そううすると自分は死んでしまった世界で、存在しない「はず」の世界でも、生きていた「はず」の
確率分だけ自分は存在しているはず。
私の死をはっきりと確認した人は私が「生きている」か「死んでいる」かのどちらかの状態を
確認しているはずなので、私は死んでいることになる。
そうでなく、私の死を確認していない人、人伝で知った人にとっては私の死は、それをはっきりと
確認するまでは「死んでいる」と「生きている」の両方の状態をとりうる。
私が死んでいる状態は現象として確認することは出来ないけれど、私が「死なずに」歩き回って
いるのはある確率分だけ現象として見ることができるのではないだろうか。
そう考えると今生きている(とされている)私はどこかで死んでしまったはずの確率も持っている
のであるから、私を見たり、私と話したりしている人は私が生きているとする確率分の姿を見ている
ことになる。
私は生きているのだろうか、あるいは死んでいるのだろうか。