当時手紙を書いたことがあって、その住所を途中まで覚えている。
それが「谷津町3丁目」だ。 その後は覚えていない。
同じ作りの平屋の住宅が沢山並んで建っていた。
かなり前に車で行ったことがあったが、その場所が何処だったのか、
あまりはっきりわからなかった。
ただ防波堤だけはの残っていた。
その家に行く時は、谷津遊園駅で降りて谷津遊園地の入り口の前を通って海の方に
向かって歩いた。谷津遊園の前の道は両側にお店が沢山並んで、浮き袋や遊具、
それときれいな貝殻や海ほうずきを売っていた。
その家のから50メートルも行くとすぐに海になっていた。
そこに防波堤があり、ずっと遊園地の方と反対側は船橋ヘルスセンターの方に続いていた。
その海は遠浅になっていた。
潮が引くとすう百メートル先まで砂浜になった。潮が満ちると深さ1メートルくらいの海になったが、
ちょうどその住宅の前から50メートル先くらいから急に深くなっていた。
その深さがどのくらいあったかわからないが、数メートル以上はあったと思う。
今の地図と当時の地図を比べてみると、我々が遊んだ海のところだけ谷津干潟として残って
いるようだ。現在の海はその防波堤から2キロ近く遠ざかってしまった。
当時は遠浅になるとアサリやハマグリが沢山取れた。バケツを持って行くとすぐにバケツいっぱい
の貝がとれた。 また海は(汚れる前までは)とてもきれいで、魚が沢山泳いでいた。
石鯛の子供が群れで泳いでいるのを良くみた。
サヨリやタツノオトシゴ、いろいろな魚が泳いでいた。
そのきれいな海は数年して黒くなって行った。
もう岸近くでは泳げなくなり、遠浅の砂浜をずっと先まで行かないときれいな水にならなかった。
それからは海で遊ぶこともなくなってしまった。
あれが高度成長期だったのだろう。
海がきれいだった頃、冬になると海が凍った。
海水は凍らないと言うけれど、あの防波堤の前の海は凍って真っ白の海岸になった。
すぐそばにオートレース場があって、外から隠れて見に行った。
それが危険な事とは知らず、コースの外側で見ていたら、場内放送のスピーカーで注意された。
たぶんレースは中断したかもしれない。
またヘルスセンターで花火大会をやったので、すぐ真下で見ることができた。
あれは今までで一番打ち上げ近くで見た花火だろう。