8/09/2014

谷津町三丁目

小学校の頃、夏休みに千葉の親戚の家によく行った。1960年頃の話だ。
当時手紙を書いたことがあって、その住所を途中まで覚えている。
それが「谷津町3丁目」だ。 その後は覚えていない。
同じ作りの平屋の住宅が沢山並んで建っていた。

かなり前に車で行ったことがあったが、その場所が何処だったのか、
あまりはっきりわからなかった。
ただ防波堤だけはの残っていた。
 
 
その家に行く時は、谷津遊園駅で降りて谷津遊園地の入り口の前を通って海の方に
向かって歩いた。谷津遊園の前の道は両側にお店が沢山並んで、浮き袋や遊具、
それときれいな貝殻や海ほうずきを売っていた。
 
その家のから50メートルも行くとすぐに海になっていた。
そこに防波堤があり、ずっと遊園地の方と反対側は船橋ヘルスセンターの方に続いていた。
 
その海は遠浅になっていた。
潮が引くとすう百メートル先まで砂浜になった。潮が満ちると深さ1メートルくらいの海になったが、
ちょうどその住宅の前から50メートル先くらいから急に深くなっていた。
その深さがどのくらいあったかわからないが、数メートル以上はあったと思う。
 
今の地図と当時の地図を比べてみると、我々が遊んだ海のところだけ谷津干潟として残って
いるようだ。現在の海はその防波堤から2キロ近く遠ざかってしまった。
 
当時は遠浅になるとアサリやハマグリが沢山取れた。バケツを持って行くとすぐにバケツいっぱい
の貝がとれた。 また海は(汚れる前までは)とてもきれいで、魚が沢山泳いでいた。
石鯛の子供が群れで泳いでいるのを良くみた。
サヨリやタツノオトシゴ、いろいろな魚が泳いでいた。
 
そのきれいな海は数年して黒くなって行った。
もう岸近くでは泳げなくなり、遠浅の砂浜をずっと先まで行かないときれいな水にならなかった。
それからは海で遊ぶこともなくなってしまった。
あれが高度成長期だったのだろう。
 
海がきれいだった頃、冬になると海が凍った。
海水は凍らないと言うけれど、あの防波堤の前の海は凍って真っ白の海岸になった。
 
すぐそばにオートレース場があって、外から隠れて見に行った。
それが危険な事とは知らず、コースの外側で見ていたら、場内放送のスピーカーで注意された。
たぶんレースは中断したかもしれない。
 
またヘルスセンターで花火大会をやったので、すぐ真下で見ることができた。
あれは今までで一番打ち上げ近くで見た花火だろう。