2/25/2017

MiniNova と BeatStep

たぶん「シンセサイザー」という名のついた新品のものを買うのは40年ぶりだと思う。
前に買った新品のものはKORGのPolysixだった。

MININOVAは面白い。
何も考えずプリセット音だけで遊べる。
しかし問題はマニュアルだ。
英語も日本語も同じマニュアルしかない。

アルペジエータが付いている。プリセットのサウンドにはシーケンサー的な音も入っている。
だから単音を並べたシーケンス音が作れると思うのだけど、詳細が書かれていない。
それどころかアルペジエータの編集について方法がほとんど書かれていない。
たぶんプリセット音をeditしてパッチに登録すればいいのだと思うが、
そのedit方法がわからない。
ずっと考えているのだが、わからない。
16音プリセットのシーケンサーとして使えるはずだが、少なくともプリセット音にはそれらしい
音があるのだが、方法がわからない。

たぶん、シーケンサー(今は1万円もしないようだ)を買った方が早いかもしれない。

-----------------------------追記-----------------------------
それで面倒なのでシーケンサーを買った。
ArturiaのBeatStepだ。
なんでこれにしたかと言うと、なんとなく恰好良かったからだ。
このシーケンサーは16ステップのシーケンスだけでなく、その16ステップを
16パターンセットできる。
これをアルペジエータとして使うとコードを16パターン変えて曲が作れる。
それに昔のアナログシーケンサーと違ってノブを回すと音階に沿って音をセットできる。
いちいち音程を合わせる必要が無い。
逆に言えば音階の間の音を出すことができない。(たぶん・・・ま、いいか)
それで作ったのがこれ。


※それとmininovaのアルペジエータだけれど、応答が早すぎるのか、
 曲のテンポに完全にぴったり合っていないとアルペジオが完了する前に
 次のコードに移ってしまったり。あるいは残ってしまったりする。
 それを完全に弾くのが難しい。
 Beatstepのアルペジエータのパターンは次のシーケンスが始まる前に
 次のパターンを選択すれば、勝手に合わせてくれるので楽。








4K

私が映像(画像処理)の仕事を始めた時、解像度は256×256だった。
白黒でビット数は4ビット。16諧調。
それから512×512になって、諧調はカラーでRGB各8ビット。
その時になってもビデオ映像はNTSCで変わらなかった。
普通のカメラだったら水平256の解像度はほんとうにとれていたのだろうか?
カラーカメラはさらにひどかったと思う。
もうずっとそのままだった。
当然見る方のテレビもそんなものだった。
たぶん水平は240くらい、垂直も同じくらいだったと思う。
垂直はインターレースしてたから倍の480本の走査線はあったけれど、
実際はそんなに見えてなかったと思う。

ハイビジョンが出た時、街の電器屋で50インチくらいの画面で初めて見た時、
すごいと思った。
でもその時の映像も今みたらどうだろう?
フルハイビジョンの映像に見慣れてしまっているから、たぶん当時の映像は
そんなにきれいではなかったかもしれない。

それで4Kだ。
確かに電器屋で隣同士の映像を見れば違いがわかる。
でも家で普段見るのにはどうだろう?
画面に食い入るように見ることはあんまりないだろう。
私は景色が好きなのでフルハイビジョンの映像くらいでないと満足できない。
でも十分のような気がする。
今は。

いつか、まだ十年くらい生きていて、4Kが普通になって8Kも普通になった時に、
「ああ、フルハイビジョンはだめだね」って思うだろうか?


2/22/2017

Zigeunerweisen

鈴木清順さんが亡くなった。
あの不思議な映像は決して忘れない。
「ツィゴイネルワイゼン」、「陽炎座」いずれも不思議な気分にさせる映画だ。
あまりのめり込むと少し怖くなる。

ツィゴイネルワイゼンはサラサーテ自身が弾いた音が残っている。
ただ演奏が残っているだけなら映画「ツィゴイネルワイゼン」は生まれなかったろう。
演奏後半で少し静かになったところにサラサーテの声が入り込んでいる。
聴いてみるとどちらかというと爽やかな感じの軽い声だ。
何て言ってるのかはわからないが、wikiによるとピアニストに演奏を短くしてくれと
言っているらしい。録音盤が終わりそうだったのだろう。

昔の蓄音機でこの声を聞こうとした時、どうだったのだろう。
家にも蓄音機があって子供の頃にそれで遊んでいた。
その音の感じは覚えている。
意外に今のピックアップよりも良く聞こえたのかもしれない。
今の再生機は高い音から低い音まで幅広く再生してしまうから。

しかし1900年ぎりぎりくらいの人は生の声や演奏が残っているんだね。
100年以上前だ。



2/21/2017

時間の間隔の感覚

ただのダジャレだけど。

この歳になって明らかに時間の間隔の感覚が変わってきている。
若い頃の方が時間の間隔が長く感じることはよく言われているけれど、この頃は
冗談でなく短い。
例えば月曜日が燃えるゴミの日だ。次は金曜日。
月曜日に出せなかったものがあって、「ああ、出せば良かった」と思うのだけど、
でも金曜日はあっという間に来る。
この「あっという間」というのは文字通りなのだ。
コーヒーを作って机に戻って時計を見ると金曜日になっている。
子どもたちがいつかこれを読んだ時、これを冗談だと思うだろう。でも子供達が私の歳になって
これを思い出せば、「ああ、そうだね」とわかってくれるだろう。
だから、今の時間をゆっくり過ごせばいい。
まだまだ君たちの時間はあるのだから。


2/14/2017

読者

このブログは誰かに読んでもらうために書いてるわけではないのだけど、
少なからず読んでくれている人がいるようだ。
アクセスの半分くらいは日本からだけど、半分くらいはアメリカとロシアだ。
英語らしく書いたページは1ページしかないから、
たぶん海外からのアクセスはYouTube経由かGoogle経由で来たのだろう。
ロシアは謎だけど、「森は生きている」の話を書いたからだろうか。
確かロシア語のタイトルを書いていたから。

書いた中で一番アクセス数が多いのが「マツダ、プロシード・マービー」について書いたものだ。
たぶんこの車のファンが多いのだろう。1500人くらい読んでる。
その次が「札幌の昔の航空写真」、それから「三鷹・第九書房」、「NHKみんなの歌・パパ教えて」
いずれも大したことは書いていないのでがっかりしただろう。

これからもがっかりすることを書こうと思う。

2/08/2017

電車の中で

座って向かい側の席を見ていたら思い出した。
学生の頃、やはり電車の中でこんなふうに向かいの席を眺めていたことを。
友達の家に泊まって次の日にまた新宿に戻る時だった。
だんだん人が乗って来て、向かい側にスケッチブックを持った男の人が
座っていた。
彼は他の乗客を鉛筆でスケッチしていた。
それをずっとやっていた。
友達が「あの人よく見かける人なの」と耳元で言った。
「へえ・・」と僕がこたえた。
「うまいのかな?」僕が言った。
「一度のぞいたことあるけどうまかったわよ」と友達。

そうなんだ、あの頃は携帯もスマホも無かったから、
もしあったら彼女は僕に話しかけることもなくスマホをいじっていたと思う。
僕にしても同じだ。

その時に僕は思った。(そのことをはっきりと覚えているのだが…)
『このシーンをいつか思い出すことがあるだろうか?』
『向かいの窓に陽が差し、僕は友達と二人で座っている。』
『友達は僕のことをそれほど好きでもないのに』
『こうして朝の通勤電車に一緒に乗って学校に向かっている』
『この一瞬がとても愛しい。』

そのシーンをこの言葉と共に胸に刻んだ。
それを思い出した。
冬だった。
夜に友達の家に一緒に帰り、
僕らはコタツに向かい合わせに座って
そのまま朝を迎えた日だった。