7/26/2016

レ・ミゼラブル 民衆の歌

どうでも良くないことをほっといて、どうでもいいことが気になる。

日本語題で「民衆の歌」の歌詞だけれど、
日本語歌詞は「戦う者の歌が聴こえるか?…」で始まるけれど、
「戦う者」でいいのか? と思い始めた。
確か元はSinging a song of angry men?だった。
歌っているのは怒れる人々のはずだ。
戦う人と怒れる人はずいぶん違うと思う。
怒れる人は怒っているけれど静かに我慢している感じがする。
戦う者と言うともっとラジカルな感じがする。

だいたいこの歌はワルシャワ労働歌ににている。
歌詞も旋律も。
「砦の上に我らの世界だ」
と考えたていたところに、
横から「あの歌はもともとフランス語でしょう」
と言われた。

そうかフランス語だ。
と思い、フランス語の歌詞はどうなんだ?
と検索してみたら、フランス語歌詞の日本語訳を書いている人がいた。
読んでみると、むしろワルシャワ労働歌の日本語歌詞に似ている。

それじゃあワルシャワ労働歌の原語歌詞はどうなんだろう?
と検索してみると、もう、モロ、ワルシャワの革命歌だ。
日本語のワルシャワ労働歌は原語よりもむしろフランス語版の「民衆の歌」に似ている。

とわかったところで、
どうでも良くなった。


7/25/2016

かつて電話は

そうじゃなかった。
さっき「北の国から」の再放送をたまたまやっていて、それを見て思い出した。
じゅん君が人の目を盗んで職員室の電話で東京のお母さんに電話をする。
それを見ていて、なんでこんなにドキドキするんだろう?と思った。
携帯ではこんなにドキドキすることはないだろう。

北海道から東京に電話するのは頻繁にはできなかった。
公衆電話から電話すると100円玉がガシガシ落ちる。
話に詰まって、だまっていても落ちる。

私の父親は時々電話をくれた。
いつも決まって日曜日の夜だった。
その時は家にいないといけない。
でも日曜日はでかけているときが多かった。
今、考えると、逆の立場だったらと思う。
父はちょうど今の私のように息子に電話していたのだろう。
出なかった時はきっと寂しかっただろう。


もうこれが最後の電話になるからと、電話をして来てくれた人がいた。
札幌から東京にだった。
ひとつひとつの言葉にはすごく重みがあった。
その数日後に亡くなった。
あの電話は一生忘れない。


そういう大切な人への言葉の電話がメールやLINEになってしまって、
心は携帯とともにどこかに行ってしまったような気がする。
だから、大事な人へはメールではなく電話をすることにしている。

きっと、いい迷惑だろう。

7/23/2016

携帯

捨てたい。。

いつからこんなことになってしまったんだろう?
次のイージーライダーは時計ではなく携帯を捨てるシーンから始まる。
と、前に書いたような気もするが、
70年当時の時計と今のスマホは似てるかもしれない。
たぶん現代の生活には必須のものなのだろう。
私を除いて。

それでも会社で仕事をしてた時は、頻繁にメールもしていたし、
電話もしていた。
だいたい車で運転しながら電話してたし、メールもしていた。
そんな時があったことが今は不思議に思える。

今、携帯があって良かったと思うのは娘からたまにメールが入ることだ。
まあ、だいたい「カンパして」という内容なのだけれど、
それでも、まあ、父親としてはうれしい。

それだけだ。
なのに毎月の料金が馬鹿にならない。
だから来月、格安スマホに変えることにした。

スマホを捨ててバイクに乗ってどこかへ出かける
という勇気も無い。


7/19/2016

千歳空港

札幌に住んでいた時には毎年1回か2回は東京に飛行機で帰っていた。
飛行機じゃないときは車だった。
車は青函連絡船を使ってあとはひたすら4号線を走った。

千歳空港は当時は車は何日停めても500円くらいだったように思う。
だから千歳空港までは車で行って停めておくか、雪のひどい日は
バスで空港まで行った。
バスは確か道庁のすぐ前のところから出ていたように思う。

飛行機は当時は席は早いもん順だったので、できるだけ早く行って
翼の上ではない窓側席をとった。ジャンボの時は2階席の窓側がとれる
ときもしばしばだった。
何かの理由で窓側が取れないときはほんとにがっかりした。
飛行機に乗る意味がなかった。

だいたい機内に座るとほとんど窓にへばりついていた。
飛び立つ前から飛行機から降りるまでずっとだった。
夜は地上の街や道路の灯りがきれいだった。

窓の外を見ていないと経験できないきれいな景色やめずらしい瞬間も
たくさんあった。
…ということは前にも書いたような気がする。

今回は格安航空券だったので、できるだけ早く搭乗手続きを済ませ
窓側の良い席をとった。
今回はカメラで撮影しようと思いカメラを出しておいたのだけど、
なぜかバッテリーが切れかかっていて離陸しかとれなかった。


離陸して雲の上にでると雲がきれいだった。
でも撮影できなかった。

帰りは、離陸はきれいに録れた。
映像には自機の影が雲に投影されるシーンが録れた。
8:07あたりから。


札幌ー東京というのは上昇して上がったらすぐに下降するような感じだ。
海外便だと高度も高く雲の景色は本当にきれいだ。

海外か… また乗ることあるかな。

昔録った千歳空港の写真がある。

この写真はどこで撮ったのだろう?とずっと思っていた。
今回、電車で札幌から千歳空港まで乗ってわかった。
今の南千歳駅横の国道36号線上だ。
思い出した。
車を停めて吹雪の中、窓を開けて撮った。
三脚を助手席側に立ててカメラを固定して撮った。

あの飛行機に乗りたいと思っていた。


時計台

しかし残念な観光地だとか言ってる人の気持ちがわからない。
明治時代からビルの谷間にこれを建てたわけじゃないし。

まあ、そんなことはどうでもいいのだけど、私はこの時計台が好きだ。

札幌に赴任して数日後に東京から車が来て、最初に行ったのが時計台だった。
夜中だった。
車を中通(当時は大阪屋があったところ)に停めてしばらく眺めていた。
鐘が鳴るはずだと思って録音機を持って鳴るのを待っていた。
それが今から何十年も前だとは信じられない。
今回も夜10時前に行って鳴るのを待っていた。

観光客はこの時計台が鳴るとは思っていないようだ。
ほとんどの観光客は写真を撮って去って行く。
しかし、10時の鐘が鳴り始めたとたん、驚いたように足を止め、
あるいは引き返して鐘の音を聞いている。



この音も好きだ。
イメージではもっと余韻があり広々した野山にこだまするようなイメージかもしれないけれど、
私はこの音が好きだ。
この音は昔と全く変わっていない。(と思う)

時計台は夜がいい。

7/16/2016

札幌、あれから2か月

また行きたくなった。
いつも札幌に行って帰ってくると、あの街には嫌われてるな、と思っていたけれど、
今回はその感じが無い。
それに思い出にある全ての物が変わってしまっているのに、
あの街の今が懐かしい。


札幌にいたときに知り合った唯一の男の友達は豊平川のそばに住んでいた。
彼のアパートはどのあたりだったろう?と思い豊平川に行ってみたが、思い出せなかった。



土手に座ってしばらく見ていた。
ひとつ思い出した。
この写真の向かいあたりに「穀物屋」だったかな?そんな名前のジャガイモ料理とか
を食べさせる店があった。
一度は入ったことがあったはずだけれど、それ以上思い出せない。
しかし豊平川をこんなにじっくり見ることはあっただろうか。

そうだ、一度花火大会を見た。
あの時もこの向かい側のあたりに車を止めて花火を見た。
あの当時も混み合っていたけれど、たぶん今からすれば平和だったのだろう。
車を停めていても何も言われなかった。

その土手からその友人に電話をかけたけれど、3回かけなおしたけれど、
出なかった。どうしているだろう?
もし電話に出たら「今どこにいると思う?」と言ってやろうと思ってたのに。

豊平川だよ。


藻岩山が見えた。
藻岩山のケーブルカーは午後からなんだ。
時間が合わず行けなかったけれど、羽田の閉鎖で一日ずれるのがわかっていたら行くのだった。