4/28/2016

時間のスケール

だいたい時間が遠い過去から永遠の未来までまるで物差しのようにつながっている、
というイメージはどこから生まれたのだろう?
子供の頃からだろうか、それも学校で歴史年表みたいなものを見たのが始まりだろうか。
物差しのようになっているというイメージがあるからタイムマシンのような考えが浮かんで
しまうのだろう。
しかし、おそらく時間というものはああいう風にはなっていない。

未来がほんの一瞬先でもどうなるかわからないのと同じように、
過去も一瞬前がどうであったかも同じ不確かさであるはず。
というのもシュレディンガーの方程式が負の時間でも成り立つらしいからなのだけれど、
それをずっと考えていたら、その方が自然のように思えてきた。

だから時間を長さのあるものでたとえてはいけないのだろう。
時間と言うのは「一瞬」でしかない。
…これも変な言い方かもしれない。
「一瞬」と言った時、頭では位置的なイメージを描いてしまうから。
それじゃあ、時間とはいったい「何のような」ものだろう?

ディスプレーに写る映像はどうだろう。
映像それ自体は絶えず一瞬しか画面上に存在しない。
ただし映像に投影される映像はビデオテープやビデオ信号のように記録されたもので
あってはいけない。ビデオ映像だとまた戻すことや進めることができてしまうから。
でもまあ、時間のたとえとしてはいいような気がする。

画面に何が映るかは、正の時間でも負の時間でも同じように投影される。
画面に映るものは時間の正負にかかわらずある確率を持って投影される。
我々は時間が正であれ負であれその画面に映る瞬間の映像を見るしかない。
その映像は絶えず変わって行き、元に戻すことはできない。

そういう状況ではタイムマシンなどという概念すら意味を持たない。
100年後も100年前も確率的にしか語れない。
それでいいような気がする。
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