1981年にオーディオの会社からパソコン関連機器を作る会社に移った。
パソコン関連機器というのはその頃まだ「マイコン」と言っていたボードコンピュータを
コンピュータに作り上げ、それに画像処理機能を組み込んでいたものだった。
その頃のCPUは6802だった。その後6809を組み込んでいた。
OSとしてFLEXを使っていた。
その画像処理機能だけれど、ビデオ信号入力からビデオメモリーとそのメモリーをアクセスするためのインターフェイス、それとビデオメモリーの出力をまたビデオ信号に戻して出力していた。
たぶん、画期的なものだったと思う。
その全体の開発に私は関係していなかったけれど、ビデオ信号処理の部分に少し改造を加えていた。
当初は入力となるビデオ信号元はビデオカメラ、それもビジコンかサチコンを撮像素子に使ったものだった。あちカルニコンというのもあったと思う。
いずれにしても解像度は低く、水平が200くらい垂直は240くらいだったのだろう。
少し良いもので300×240くらいだったと思う。
だからビデオメモリーも256×256画素のものだった。
深さは4ビットで16階調だった。
それを6809ボードから制御していたが、インターフェイスを付けて、その頃出始めたパソコンにつなげるようにしていた。PC-8001やMZ-80,FM-8などだった。
インターフェイスは上下アドレスをパラレルIOでセットしてそのデータを読み書きするものだったから、処理速度は遅かった。8ビットコンピュータで1画面全部を書き換えるのに数分かかっていたと思う。後に16ビットのPC-9801が出てからも1秒くらいはかかっていたように思う。
その後に、パソコンのメモリーマップの中で直接アクセスできるよういにしてかなり早くなった。
そこに至ってもビデオ信号はあまり変化なかった。
撮像素子がCCDに変わって安定はした。特に焼きつきや残像が無くなったので、産業用に使うには条件はかなりよくなった。
しかしNTSCの制約のために解像度はほとんどよくならなかった。
イメージメモリーは512×512に変わったけれど、実際の解像度はそんなに良くなかった。
ビデオ信号のアナログ処理部はほとんど確立されていたのだと思う。
当時世に出ていた回路図はほとんどテレビ受像機の回路が基本になっていたように思う。
そのため画像入力装置のAD変換の前段の回路はそれを継承していた。
たいていはトランジスタ2,3石で作られていた。
アナログテレビ受像機の場合ビデオ信号のDCが多少変動しても平気で写っていたけれど、
AD変換ICはその変動をまともに受けていた。だから明るい場面から暗い場面に変わるとDC変動によってデジタルデータは大きく変わってしまった。
同じ白いものでも画面の中にある大きさによってその値が変わってしまった。
従来のビデオ回路でもクランプ処理というもの行ってある程度ビデオ信号の安定化を行っていたけれど、ビデオ信号処理にはむいていなかった。
それで、クランプ回路を作った。
最初はビデオ信号の同期パルスの底を検出してその変動をビデオアンプにフィードバックする方法を考えた。それは何も参考回路が無かったので、自分で考えたものだったけれど、とてもうまく動いた。DCの変動はほとんど無くなった。それはその後改造してぺディスタル部分を検出してペディスタル部分のDCを固定する方法に変えた。
ずっと後になって他のメーカーの回路図を見ることがあった。それを見るとビデオ入力部分の回路が私の回路とほとんど同じだった。
きっと同じことを考えたのだろう。真似されたとは思わなかった。
だいたい電子回路なんて目的が一緒だったら同じような回路になるいはず。
それから、ある時の画像処理展で、あれは確かTIだったと思うけれど、1000×1000くらいのCCD素子を出したと思う。
その頃からこう解像度のビデオに世の中は移っていったのだと思う。
NTSCを離れて独自のビデオ信号のカメラが出始めていた。
でもコンピュータの方がそれに追いついていなかったように思う。
複雑な処理になるとかなり遅かった。
いずれにしてもPC98の時代が終わりDOS-Vになってからだったと思う。まともな処理ができるようになったのは。
考えてみると256×256のメモリーボードがA3サイズあった頃から考えると、Go-PROがあの大きさでハイビジョン映像を記録できるのは驚異的だ。
いや、大きさとしてはもっともっと小さくできるのだろうけど。