YouTubeで「サバイバー 極限の生存者」という映画を観た。
一人の女性が航空機事故で5000メートルから落下して生きていた。
という話だけれど、作り話だろうと思ってみていたのだけれど、
「5000メートるから落下して助かった」というニュースを
昔どこかで見たような気がしてきた。
それで調べたらほんとの話だった。
映画では少し作り話が入っていたけれど、
1981年8月24日のことだったらしい。
私が札幌から東京に戻った年だ。
どこかでそのニュースをみたのだろう。
映画は2023年の公開だったようだ。
つい最近だ。
映画ではソビエトの隠ぺい体質がらみの話になっているが、
民間機と軍の2機編隊の飛行機のうちの一機が5000メートルで衝突したらしい。
民間機はアントノフAn-24のプロペラ機。
軍の方はTu-16Kミサイル搭載爆撃機だったそうだ。
事故の原因も軍と民間の連絡が取れていなかったためのようだ。
両飛行機を合わせて31人が亡くなり、生存者は彼女ひとりだけだった。
彼女は空中分解した飛行機の後部の席にいて、
機体が比較的ゆっくり落ちたため助かったらしい。
ゆっくりと言っても相当の速度だったはずだ。
彼女以外は全員亡くなったわけだから。
軍と民間機の事故というと雫石を思い出す。
1971年の悲惨な事故だった。
あの事故はどういう事故だったのか改めてwikiを読んでみた。
やはり映画と同じく、軍(自衛隊)の2機編隊と全日空の旅客機が衝突した。
状況が良く似ている。
民間機はボーイング727、自衛隊はF-86Fだった。
事故の状況は今ではかなり詳しく分かっているようだ。
当時私の友人の小沼の親戚の人に
雫石事故の時の 海法泰治(2審検察側鑑定人)という人がいた。
当時、海法発言として話題になった人だ。
小沼はよくその話をしていた。
「海法さんは、民間機が自衛隊機に追突するなんてありえない
と言っているよ。」
という話をしていたのを覚えている。
いずれにしても事故は起き多くの命が犠牲になった。
ロシアの事故の様にプロペラ機ではなく3発ジェット機だった。
だから衝突後ものすごい速度で落ちたようだ。
途中音速を越えソニックブームが発生したらしい。
日航123便の時も自衛隊機だか米軍機だかが関係していた
という陰謀論があるが、
全く人の死を面白がっているとしか思えない。
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