7/30/2025

楽しいこと、楽しそうなこと

 何か無いだろうか?
もうやりたいことはみんなやってしまったように思う。
例えばやりたくないことは?
スカイダイビング、バンジージャンプ、フリーフォール、
ボルダリングとかロッククライミングとか
登山一般、ラフティングとかいうやつ、
全部やりたくない。
全てハンググライダーにはかなわない。
かろうじてシュノーケリングはちょっとやりたい。
泳げないけど海の中は好きだ。
学生の時に三宅島で潜った時の海の底は綺麗だった。
すごく印象に残っている。
泳げないのによく潜ったと思う。

それくらいかな?

できればもう一度アリゾナの砂漠で一日過ごしたい。
何をするわけでもなく
乾いた砂漠を眺めていたい。

それくらいかな?

ああ、静かに降る雪の中を歩きたい。
夜だ。
人のいない街を歩きたい。
どこへということもなく

7/28/2025

太田君のこと

 今日フェイスブックで「友達かも」というので太田昇吾
という名前が出た。
おう!知ってるよ。筑波で飛んでた。
というのはいいのだけど、写真は車椅子に乗っている後ろ姿だった。
いやな予感がした。
読んでみると2023年の春に事故したみたいだ。
ハードランディングと書いてあるから着陸の時に何かあったようだ。
太田君は私が筑波に行ったころすでにプロ級のパイロットだった。
私がハング同士の衝突を起こした時、いろいろ意見を言ってくれた。
ハングは上を跳ぶ人が下にいる人に空を譲らないといけないのだけど
私のすぐ上を飛んでいた人が下から登って来た私をよけずにいたため
衝突してしまった。
そのあとで、飛行の安全についていろいろ尽力してくれた。

ある時、太田君が落ちたという声が聞こえてきた。
でも太田君はそのあと現れて、機体が折れてしまったけど、
そのまま落ちてきた。と言っていた。
ハングは折れてもグルグル回りながら落ちて来るので
速度はそんなに出ない。あまりダメージ無く降りられる。
またある時はちょっとこの強風では飛べないだろう!
という風の中、空から現れてランディングしたのには驚いた。

私が筑波に行かなくなった後も、ハングの大会で成績を上げていた。
そんな太田君が事故だとかちょっと信じられない。
頸椎をやってしまったらしい。
現在では治療法もいろいろあるようだから
なんとか回復してくれるといいけど。


せめないで

 今朝の5 時だ。
いやな夢を見た。
昔のことなのに今のように再現される。
自分がいいかげんなやつだということは
もう十分わかったから責めないでくれ
空が明るくなってきた。


7/25/2025

欲しい物リスト

 何が欲しいか?ってアマゾンのリストに並べているけれど
それを買ったことは少ない。
っていうか1万円の物はもちろん、数千円の物でも
買うかどうか考えて結局買わない。
しかしこのところ千円くらいの物をいくつか買っている。
「ほんとに必要なのか?」と思うものばかりだけど
なんか買うと嬉しくなる。来るのが楽しみ。
先日も細いロープとストッパーを買った。
窓が全開になるのを止めようと思って、
しかしロープと思って注文した物はゴム紐だった。
まあ、そういうこともある。

考えてみると数万円のものを買うには結構勇気がいる。
考えて買わずにいると全く別の所から金の必要性が出て来て
買い物は破棄になる。
そういうことを何十年も続けているように思う。
仕事をしていた時は毎月ギリギリだったから欲しい物も
買わずにいたかと言うとそうでっもない。
結構遊び道具を買ってしまった。
それでもなんとかなった。

世の中なんとかなるもんだと思う。

前にも書いたけれど、どうしようもない事態になると、
不思議なことにどこかからお金が出て来る。
これは本当に不思議だった。
借りたこともあったけれど、全部(たぶん)返した。
一番不思議だったのは差し押さえ状が来て、しょうがないので
区役所に行ったら、「財産を調べさせていただきます」
と言われて銀行や何やら調べられて、
全く記憶にない生命保険が満期になったままで
そこに結構なお金が残っていた。
区役所に払ってもだいぶ残った。
あれは奇跡かあるいは天国の誰かがやってくれたのだと思う。
他にも何度もそういう不思議なことがあった。
「生かされている」という嫌な言葉があるけれど
でもそれが一番当てはまるような気がする。

昨日メルカリを見ていて欲しいGoProがあった。
「今は節約の時だ!」と思った。
それでふと見ると売上金というのが出てきて
それで充分買える金額だった。
これは前にフェンダ-のギターを売った時の売り上げだった。
そのままになっていた。
それで迷わず買ってしまった。
そのうち着くだろう。

世の中は不思議で出来ている

7/24/2025

稲垣足穂・植草甚一・物部長興

 稲垣足穂も植草甚一も70年代から良く読んだ。
稲垣さんは76歳で亡くなって植草さんは71歳だったようだ。
どちらの人も当時はすごい爺さんだと思っていた。
だけどもう既に植草さんを追い越し、稲垣さんにあと少しだ。
どちらも明治生まれだった。
どちらの人とも会ったことはない。
本の中でだけだ。

もう一人70年代私の身近にいた爺さんが物部長興さんだ。
お間思い出すとたぶん60歳くらいだったと思うのだけど、
今の自分より歳をとっているように思えた。
最後に見かけたのが1980年頃だったと思う。
車に乗って吉祥寺を走っていたら道を歩いていたのを見かけた。
物部さんの病院はべ兵連やその他の学生運動家の集まる場所になっていた。
前に書いたと思うけれど核マルと中核が一緒にいた。
他のセクトの人もいたし、企業の運動家もいた。
物部さんは運動で怪我をした学生の治療をしたり、
催涙弾の危険性について社会に訴えていたりした。
反戦自衛官を匿い助けたのも物部さんだった。
60年代から「ちょうちんデモの会」というデモ行進を
吉祥寺から三鷹駅までやっていた。
確かまだ続いているように思う。
ちょうちんデモのメンバーはべ兵連の人や企業内の運動家の人
日中友好協会の人、高校生の運動家や
・・・
ああ、今顔を思い出した。男と女の二人だった。
女の子は可愛らしい顔立ちだった。いつも一緒にいた男の子は
細い感じのイケメンだった。二人は無着成恭さんがいた学校に通っていた。
無着さんはかろうじて昭和生まれだ。96歳まで生きたようだ。
無着さんがデモに加わったかどうか記憶に無いが、
学校では過激な発言をしていたと言っていた。
・・・大学生の運動家など雑多な人達だった。
中に物部さんがいたのでお互いが言い合いになるとかいうことは・・
無かったように思うけれど、あったような気もする。

新宿や井の頭公園や吉祥寺駅で歌を歌っていたフォークゲリラの
仲間も加わっていた。だいたい先頭でギターを弾いて歌いながら
歩いた。
外からみたら「あれは日共か?」と思われただろう。
そういう感じのデモだった。

そうか、無着さんは96まで生きたんだ。
もう少し頑張るかな。

7/22/2025

残された時間

 何をしたらいいのだろう?

何の計画も無かったのだけど、ぼんやりとは思っていた。
たぶん「何か自分の音楽を作りたい」そう思っていたはずだ。
毎日何かやろうと思っているのだけど
何もできない。

絵を描くのは好きだった。
だから何か絵を描くのもいいかも。

小説とかは全くだめだろう。
そういう方面にはむいていないように思う。

写真?
写真もむいてない。
写真を撮るのは好きだけれど、
それっぽい写真を撮るのは好きじゃない。
何の変哲もない写真が好きだ。
そういうのをまとめてみるか?

一時期焼き物もいいなと思った。
だけどたぶん1週間で飽きると思う。
盆栽? やだね。

やっぱり音楽になるのかな?

フライングスクールのこと

 40歳の時ハングをやろうと思ってスクールに通った。
伊豆の先端近くの山の上だった。
それから30年、FBにそこのページを見つけて見ていた。
誰か知ってる人は写っていないだろうか?と
しかし誰も知らない。
2019年まで見たけれど知ってる人は力也氏一人だけだった。

そこのスクールは校長の西野さんが作ったもので、
西野さんは日本の第1回ハンググライダー選手権の優勝者だった。
西野さんの息子が力也、当時20くらいだったのではと思う。

写真、特に宴会をやっている写真を細かくみたけれど、
わかったのは力也だけだった。
他にこれはマユミちゃんかな?と思わせる人がいたが、
マユミちゃんも当時20代だったから今20代の顔はしていないだろう。

写真を見ながら名前を思い出していた。
西野さん:校長
力也:インストラクター
ふじまきさん:パラのインストラクター、のちに力也と結婚した
マリちゃん:ハングをやっていた。たぶん当時1番若かったから19歳ぐらい。
マユミちゃん:ハングをやっていた。たぶん20代そこそこ
つじ君:最初の頃ハングをやっていた。やはり20そこそこだったと思う。
    だんだん会うことがなくなって、来なくなった。
みつき:ハングをやっていた。私が始めた頃すでに山から飛んでいた。
    みつき、つじ君、マリちゃん、マユミちゃんと私がハングの
    仲間だった。
    彼は、10年くらい前だろうか?海岸にランディングする時
    防波堤に激突して亡くなった。
    クールな感じの男だった。会った時は20代前半だったろうか。
マーちゃん:ハングのベテラン。時々スクールに現れて練習を手伝って
      くれたりした。彼は丹那で主に飛んでいたようだ。
      時々話をした。
大友さん:パラをやっていた。飛べない時に山にヤマイモを掘りに行ったり
     した。伊豆からの帰りは車2台並んで途中まで一緒だった。
竹内さん:パラをやっていた。彼はスクールの手伝いをしていたのかな。
     細い感じの男だった。
     よく話をした明るい人だったけど、良く考えたら詳しくしらない。
マツナガさん:パラをやっていた。確か清水の方の病院の女医先生だった。
       当時私と同い年くらいだったと思う。だから今はもう
       高齢だと思う。軽い話をよくした。

他に名前を忘れたけど会うと必ず挨拶して話をした人がいた。
彼女はパラをやっていた。
顔を少し覚えている。30歳くらいだったと思う。
今思うに、何で名前を思い出せないんだろう?
そういえばどこから来てたのかも知らない。
なんてことだ。

7/14/2025

ジジイの問題

 もう今更だけど、SNSでのジジイの問題はコメントをくれるのはいいが、
本題とは関係ない話、自分の知識を書いてくる。
どう返事していいかもわからない。
あるいは自慢話、こちらの話を受けて自分の自慢話をする。
同年代のジジイはほんとにこれが多い。
仕事でも人の話なんか聞いていなかったのだろう。

と、SNSの話ならいいのだが、私の友人にもそれがいる。
ある時私が蒸気機関車のピストンがやけに小さいことに気が付いて、
「あのピストンであのデカイ車体を動かしてるんだぜ」
と話を持って行ったら、
「それ、僕はもうずっと前から知ってた。模型作ったし」
と言う。
しかしそれでは話はそこで終わってしまう。
そうじゃなくて私は、あの動輪全部を動かすだけの力が
あの小さなピストンにあるのはすごいね。
という話をしたかったわけで、あんたの自慢話を聞きたかったわけじゃない。

それで、考えた。
そういうお前は? と
いやいや、自分もそうなのか?
考えるといろいろ思い出す。
別の友人が新しいスポーツカーを買ったと言ってきた時、
私は確か「スポーツカーっていうのは、これこれこうで・・・」
ってうんちくを言ってた。確かにあれは私だ。
違うだろう!!
あの時は「へえ、すごいね!それでどんな感じ?」
とかいうべきところだろう!
どうしようもないやつだ。

妻と話をしたのだけど、
女性の集まりは話が永遠に終わらない。と
男の方はどうだろう?と考えると、
ひとしきり自慢話が終わると、次は知識自慢
それが終わるともう無い。
なんとも寂しい。
そうじゃない話のできる人と語り合いたい。








7/10/2025

テキサス

 暇だから延々とフェイスブックを見ているのだけど、
テキサスのフラッシュフラッドの犠牲になった子供たちの
写真が頻繁に出てくる。
これが辛い。
なんでこんな子供が?とそのつど涙が出る
それが多すぎる。
なんでこんなにたくさんの小さな子供がと思う。
最初はcareとか押していたのだけどもうそれもできない。
どうしても自分の子供の顔に見えてしまう。

明日退院

 長かった囚人生活もやっと終わる。
この病室は四人部屋だ。
私は窓側。
入り口の左側に85歳の男の人。
その人はとても静か。
だけど夜中に毎晩看護師さんが来る。
よくわからないけど、聞こえて来る声を聞いていると
オムツが溢れてしまうようだ。
それでシーツを変えたり着替えたりしているようだ。
毎日だからなんとかならないかと思うけど。
どこが悪いのかはわからない。
私の向かい側の窓側の人も80半ばくらいだろうか。
この人は何をするにもうるさい。
カーテンの開け閉めとかゆっくりやればしずかなのに、
食べる時がまたうるさい。
すする音や食べる音ゲップ、みんなうるさい。
それを5日間聞いてきた。
最初は閉口した。「音出すなよ!」と思っていた。
今日になって分かったのだけど、
彼は歩くのが不自由のようだ。
何の病気かわからないけど、呼吸器系に問題があるのかもしれない。
あんな風に息をしながら食べるのには理由があるのだろう。
彼は眠るととても静かだ。
私のとなりに昨日入ってきた偉そうなおっさんのいびきに比べたら
死んでるように静かだ。
その静かな人が昨日夜中に寝言と歌を歌い始めて驚いた。
何の歌かはわからなかったけれど
はっきりとしたメロディーで歌っていた。
寝ながらあんなにしっかり歌えるのだろうか?

その人たちとも今日でお別れだ。
もう二度と会うこともないだろう。




7/09/2025

時間の続き

 病院で暇だから時間とどういうものか考えてみた。
一番いいたとえはルームランナーだと思う。
絶えず動いているルームランナーの上ではとにかく走るしかない。
後ろ向きに走ることはできない。
走っていても動いているわけではない。
同じ位置ではしっている。
時間はこういうものだと思う。
走ってきた道があるわけでも、走る先があるわけでもない。
同じ場所にいるだけだ。
それじゃあ何がルームランナーを動かしているかというと
それがエントロピーだと思う。

時間という幻影は幻の方向性はある。
走ってる人は年を取るわけだから、あたかも後ろに若い自分がいて
前には年取った自分を感じるだろうから。

時間のこと

 何度目か忘れたけれど時間について書こう
病院で暇だろうからと、入院する前にブックオフでニュートンの
特集号を何冊か買っておいた。それらは入院一日目で読んでしまった。
時間の特集をしたものを読んだけれど、
「時間は存在しない」と言っておきながら、後のほうで
「過去に戻る方法」とか書いていて一貫性がない。
前にも書いたけど、時間というのは幻影だと思う。
今、この瞬間しか存在しない。
少し過去も少し未来も、遠い未来も遠い過去も存在しない。
時計ができて時間という幻影ができたのかもしれない。
1秒間に物がある距離移動するとか、
そうすると1秒後にはここまでいどうするとか、
そういう考えができると当然時間は流れていると思うだろう。
しかしそれは幻影だ。
死んだ人が天国に行くという考えと同じだ。

このあたかも時間が起こしていると思える「変化」は
一体何が起こしているのだろうか?と考えると
それはエントロピーだろうと思う。
エントロピーが変化を起こしている。
エントロピーは絶えず増大する。
つまり時間が進んだように思わせる。
エントロピーは決して自然には減少しない。
だから時間を戻すことはできない。

7/08/2025

卒業証書

 そんなものがあったろうか?
何か騒いでいるけど。
見た記憶がない。
高校までは確かある。
だいたい「君卒業したの?」と聞かれると自信がない。
5年やってるけど最後どうした?
卒業式は行かなかった。
私が卒業したかどうかは学校に聞くしかない。
面倒だからどこかの卒業証書をコピーして偽造するかもしれない。
そんなもんだろう。
ばれたら「ああ、すみません」だろうな。

しかし本当に自信がない。

入院

 日曜日から入院している。
というのも大腸にポリープがたくさん見つかって
その小さいものは二か所の病院で取ってもらったのだけど
大きなものが残っていてそれが癌になる可能性がある
ということで取ることにした。
それが大きな病院でないとできないとかで
横浜市大病院のある八景島のそばにいる。
手術は昨日終わった。
眠りにつく瞬間を覚えておこうと思いずっと
注意していたけれど、気が付いたのは病室のベッドだった。
ずっと昔に全身麻酔で手術した時は、その瞬間を
おぼえていた。
手術台のある部屋の電気が真っ白に光って
その後は、病室に向う廊下の天井だった。

そんなわけで、日曜日から何も食べていない。
それよりも、ずっと点滴がぶらさがっているのがうっとうしい。