3/28/2019

あの時代は何だったのですか?

続きです。

改めて新聞を調べてみた。
まず1968年6月21日(金曜日)だけれど、
朝日には地図が出ていた。
これを見るとバリケードはお茶の水駅側の1か所だったようだ。靖国通り側はどうなんていたのだろう?
記事を読むとこの明大前の通りに3か所バリがあったようだ。また写真をみると靖国通り側からの車が止められているので、靖国側もバリ封鎖されていたようだ。
また記事を見ると夜は雷雨になったようだ。朝日の写真が夕方6時だけれど、
この時点では傘が見えない。手前側は一般の人だと思うけれどだれも傘をさしていない。
このあと機動に排除されたはずだから、その時には雨だったかもしれない。
しかし火炎瓶が使われたということは書かれていないので、(記事だけを理由にするなら)「燃えて」はいなかったと思う。

キャンパス通りがバリ封鎖されたもう1回が1969年の1月18日。
これは毎日新聞の記事だけれど、お茶の水駅前で火炎瓶が燃えている。
文字通り「キャンパス通りが炎に燃えた」のだけれど、1月18日は土曜日だ。

歌の歌詞が全く事実を歌っているとすると1968年6月21日(金)の方が
合っていそうだ。ただし火が燃えてはいなかった。
たぶん比喩だった。ということだろうか。