7/17/2015

It came upon a midnight clear

日本の唱歌を最近歌っているのだけれど、
ちょっと前に「灯台守」もいいな、と思ってスタジオで録音した。
それからしばらくして、YouTubeでクリスマスソングをいろいろ聴いていた。
真夏にクリスマスソングもいいと思った。
Daryl Hallの家で録音されたクリスマス音楽があって、それがとても良かった。
John Oatesと一緒に歌っているのだけれど、特に"It came upon a midnight clear"がいいと思った。
コードを取って歌えるようにした。
それまで気がつかなかったのだけれど、今日「灯台守」はどこの民謡だったろう?と思って
調べたら、それが実にこの歌だった。
偶然だったのだろうか?
それとも記憶のどこかで覚えていたのだろうか?

7/05/2015

Farthe Along ...we will...

思い出した。
The Byrdsの洋盤を買ったのは確か御茶ノ水のハーモニーだった。
買って家に帰って聴いてみたら、レコードの裏面に大きな歪があって、取り替えてもらおう
とお店に持って行ったら在庫が無かった。
それでじゃあ他のレコードと交換して、ということで選んだのがフローティングハウスバンドのレコードだった。何も無しにフローティングハウスバンドを選ぶわけがない。

それはいいのだけど、その後バーズのレコードが入ったよ、という連絡を受けていたのだけれど、
買いに行かなかった。それでそうこうしているうちに札幌に行ってしまい、そのレコードを買いそびれてしまった。FMで録音した音が残っていて、あのレコードを欲しいと思っていたけれど、お店では見つけられなかった。
それで数十年が経ってしまい、結局入手できなかったのだけれど、友人宅に行った時に彼がLPを持っていて、「そうかそれじゃあ、これあげる」と言ってくれた。
もうすでにCDが出ている時代だったけれど、LPは嬉しかった。

この曲はすごくアコースティックな雰囲気で好きだ。
コーラスもきれいだ。

もうだんだんこの世の中にいられる時間も後半に入っているけれど、
宇宙の仕組みや、人類がどこまで進化するのか、あるいは
まだわかっていないもろもろのことなど、
ずっと先に我々は知るのだろうか?
たぶん歌のように私がそれを知るのは天国に行ってからだろう。

Farther along we'll know all about it
Farther along we'll understand why
Cheer up my brother live in the sunshine
We'll understand it all by and by

7/03/2015

Johnさんのこと

ジョンさんは一番古いメール友達の1人だ。
最初にメールをくれたのは私が以前やっていたYouTubeチャンネルのThe Floating House Bandの動画について書いてきた時だった。

その前にThe Floating House Bnadだが、これはお茶の水の(確か前に書いた)レコードショップ「ハーモニー」でたまたま見つけたレコードだった。ジャケット写真で買ってしまったレコードの一枚だった。それを聞いてすごく良かったので自分達のバンドでもやろうということになって何曲かをやったと思う。

それで、勝手に彼らのレコードをアップしていたのだけれど、それを見てジョンさんがメールをくれた。ジョンさんは当時Floating Hause Bnadの人と一緒に暮らしていて(サンフランシスコで)、
バンドの誰かに彼女をとられて恨みがあるということだった。
しかしそれとは関係なくあのレコードには入っていないいい曲があるよ。と言っていた。
それが始まりだった。それからもう6年くらいになるがメールをやりとりしている。

面白いことにジョンさんと私の過ごしてきた人生は非常に似ている。
話始めてそのことがだんだん色々なことで共通していることがわかり、二人で面白がった。
まず私としては珍しく同い年だった。
彼は写真家だった。またギター(Martin G-18)の古いのを持っていて弾いている。
彼の元の家族関係と今の家族関係は私と全く同じだった。
それから今まで手に入れたお金、遣ってきたお金の額がほぼ同じだった。
細かなことは思い出せないが、あらゆることでシンクロしていた。

以前はほとんど毎日メールをやりとりしていたが、今は時々だがやりとりしている。
今、どんな状況でどんな風に考えているか、どちらかが書いたものは互いにほとんど同じような考えで、思いで、心境でいることがわかった。

これは非常に不思議なことだ。
どちらが先に書いても同じだ。
日本とアメリカと遠く離れているのに。
向こうが市役所に行って来たと書いてくると、私もほぼ同じ時に区役所に行っていた。
年金の話をしたら、彼は私が金に困窮していることを知っていたので言わなかったけれど、かれもほぼ同額の年金を受けているという。

旅行できるお金ができたら一度ユタまで行って、会いたいと思う。

7/01/2015

柿崎さんのこと

柿崎さんは、仲間で会社を作った時ソフトをやっていた。
彼は私の唯一の同い年の友達だった。
彼は野太い声で話をした。
いつもおかしなことを言って私を笑わせていた。
大きな工場の機械の下で一緒に徹夜もした。

会社を変わって彼とは別の会社を始めた。
彼は確かソフト関連の会社に移った。
数年は会うことはなかったけれど、知人からは一緒にスキーに行ったとか聞いていた。
また彼は元同じ会社にいた女性と結婚して子供もできたと聞いていた。

それで、どうしてるだろうかと、彼の新しい家に電話してみた。
奥さんが出た。
「ああ、元気ですか?」彼女は言った。
「カキちゃんいます?」私は聞いた。
「え?」そのあと暫く沈黙があった。どうしたのかな、と思った。
「本当に聞いてないの?」彼女は言った。ちょっときつい感じだった。
「なんで? どうした!?」私は全くわからなかった。

それから彼が心筋梗塞で急逝したことを知った。
暫く声が出なかった。
泣いた。
電話の向こうで「一度会いに来て」と言っていた。

その後、同じ会社をやっていた人を誘って、彼と一緒に彼の家に行った。
仏壇にあった写真は何かの冗談のように思えた。

同い年の日本人の友達は彼が最後だった。
あの時、まだ30台だった。