9/30/2025

北海道を去った本当の理由

 雪に負けた、と前に書いたけれど、
それは本当の理由じゃない。
雪は好きだった。
北海道にいるのがたまらなく苦痛になったのは、
どこへ行っても行き止まりだったからだ。
これは地理的な理由なのだけれど、
どこへ行っても「ああ、この向こうは海で行き止まりだ」
ということに気がつき
その閉塞感がたまらなく辛かった。
それは本州に居てもそうなだろうけど、
本州の場合はHOME(家)があった。
どこかに行っても帰れる場所があった。
だけど北海道には帰れる場所が無かった。
アパートに帰ってもそこはHOMEじゃない。
どっちに向かって走っても行き止まり。
そこから帰る場所が無い。
そういう行き場のない閉塞感が一番の理由だったと思う。


当時認められなかったこと

1970年代のことだけれど、デジタル録音が出てきた頃あまり真剣に実用化を
考えていなかったように思う。ただしSONYとかビクターとかの技術者を除いて。
我々一般はそんなものが普及するとは思っていなかった。
当時のメモリーなんか12ビットのステレオ音の10分間を一時的でさえ保存しておく
メモリーが無かったのだから。
それにやはり当時はまだアナログ音の方が格段に良いとされていたから。
それはたぶん写真の世界でも同じだったと思う。
デジタルカメラが出てくるのはもう10年以上後だけれど。
しかしその頃アメリカでは既にデジタル化が進んでいた。
1978年に見学に行ったアメリカの音響工場ではデジタルの音響機器、
特にスタジオ用途のもの、が実用になっていた。

CDのレコードが出たのが1982年だったと思う。
もうアナログレコードはだめだろうな、という予感はあったけれど、実際には
ビニルレコードはまだその後もけっこう続いていた。
それよりもオーディオファンはCDの音は良くないという風潮だった。
まだビニルレコードやオープンテープの方が音がいいと言うのが一般通説だった。
だけどCDとオープンテープの音を聞き分けられる人は居ないと思う。
CDもまだ当時はオープンテープに録音された音から作っていたのだから。
今でもまだアナログレコードの方が音が良いという説が流通しているのは
驚くべきことだ。
さらに言えば真空管アンプの方が音がいいとかいうこともある。
真空管アンプの音は聞きやすいが決して良い音ではない。
元の音が真空管の応答の悪さで柔らかくなっているからにすぎない。

マウスが出た時のことを覚えている。
パソコン関連の仕事をしていたのでマウスはかなり早くサンプルを手にした。
他の技術屋と話をしたが「こんなもの使えないな」という意見が多かった。
当時アップルコンピュータを使っていた人にしてそうだった。
しかしマウスはその後驚くべき速さで浸透していった。

それからさらに10年後くらいに、QRコードの試作を見た事があった。
あれはたぶんそれを開発した会社の人が持ってきたのだと思う。
やはり他の技術屋と話したけれど「こなんなもんも使えないな」と言っていた。
その当時は画像解析に使えるCPUも遅かったから、あのドットを解析
するだけの能力が無かった。
実際QRコードが実用になるのはさらに10年以上後だったと思う。

同じ頃だろうかブルートゥースの話が入ってきた。その当時はリモコンも
赤外通信だった。音も赤外か電波だった。ほぼ1対1の危機対応だった。
その時の技術者と話をして「こんなの使えないな」と言っていた。
ブルートゥースはその後ある程度使われていたけれど、今みたいに広く
使われるようになったのは少し後だったように思う。

ああ、USBがあった。
USBが出た時は便利だと思った。それ以前のRS232C,GPIB,HPIB,SCASIにくらべたら
接続の面倒くささが無かったから。でもUSBはその後の外部インターフェイスを
大きく変えることになった。
パラレルのインターフェイスなんかはデータをそのまま扱えたからIOを
作るのも楽だった。
しかしUSBはそれとはまったく異なるインターフェイスだった。だから
単純な8ビットの出力を作るにもUSBをどうするかから考えないといけなかった。
今ではパラレルの5V出力を出すのにUSBのアダプターを使えばいい。

そういうもの全てが今では中国製だけれど、ちょっと前までは
中国製はダメだという人が多かった。でも今では中国製の方が
優れているというのが現状だろう。
時代は変わるものだとつくづく思う。














 1980年代のことだけれど、

9/29/2025

思い出したこと

 子供の頃のことだけれど、
たぶん小学校の3年~5年くらいの時、
三鷹の下連雀に住んでいた。
そのころ時々空で「ドーン」という大きな音が聞こえた。
それはジェット機のソニックブームなのだけれど、
けっこう大きな音で頻繁に聴こえていたと思う。
最近というか70年を過ぎるとあんまり聞こえなくなったように思う。
このごろでは 全く聞こえない。
要するに占領直後くらいから日本の住宅地だろうがなんだろうが
彼らはジェット機の超音速を試していたのだろう。
厚木、横田、立川と米軍の基地は周りにあったから。

9/28/2025

改定版

 意味は無いのだけど、書き換えようと思って。
歌も録り直した。

もしも私にアイドルが気になった時があったとしたら、
天地真理だと思う。
夢中にはならなかったけれど彼女の歌は好きだった。
歌い方はそんなに好きではなかったけれど、
歌っている歌が好きだった。
それと彼女の笑顔が好きだった。

あの頃他にアイドルになりそうな女性歌手は誰がいただろう?
と思い出すとあんまり思い出せない。
ピンクレディーとかキャンディーズとかはちょっと違った。
山口百恵も太田裕美も岩崎宏美も違う。
南沙織もちょっと違うな。
ようするに天地真理以外に居なかったのだと思う。
だから天地真理が唯一のアイドルだったんだと思う。


またパラが墜落

 と言っても山沈したみたいだ。
富士宮だ。
なぜかまたタンデム飛行だ。
でも二人とも怪我で済んだみたい。
どのくらいの怪我かわからないけれど、
命に別状は無いということで良かった。

しかしこの「別状」っていうのは考えてみると変な言い方だな。
命には別に特別深刻なことは無い、という意味だろうか。
バールのようなものと同じくらい曖昧ないいかただな。


問題は何か、わかった

 何かが足りないとか、時間が無いとかじゃない。
何かをしようと思った時の気力が無いんだ。
だからいつまでもグズグズと何もやらない。
何もやれない。
そういうことだと思う。

今だって時間はいくらでもある。
まあ、期限がいつまでかはわからないけど
とにかく時間はある。
あとはそのやる気だ。
それが問題だ


9/24/2025

自動車教習所

わけあって自動車教習場のことを調べていた。
それで昔のことを思い出していた。

自動車免許は武蔵野自動車学校という吉祥寺に近いところにあった
自動車学校で取った。
1970年だった。
細かなことは忘れてしまったけど、面白かった。
たぶんどこでもそうだと思うけれど、いやな教官もいた。
バカな生徒もいた。

ひとつよく覚えていることは、実地の最終試験の時に
3人生徒が乗って順番に試験をするのだけど、
私ともう一人が信号待ちで青になって左折する時に
右を確認した。
それを試験が終わったあとで注意された。
つまり、右を確認する必要は無い。左だけを注意して
曲がればよい。と
教官は「運転の第一原則として信頼の原則というものがある。
他の運転者を信頼することだ。右からは車は来ない」と言う。
これは今はどうだろう?
たぶんそんなことは言わないだろうと思う。

試験は無事パスしたけれど、今でもその教官の言った
ことを覚えている。

9/19/2025

処分しよう

 要するに何もできないのは
やろうと思ってることが多すぎるからだろう。
それに思い至ったので、余分な物は処分することにした。
断捨離ではない、全部いるものなのだ。
だけどそれを全部やってるわけにはいかないので処分する。
割愛に近い。
キーボードを処分した。
どうせ一度に弾けるのは1台なのだから、
他の物は弾きたいけれど処分する。
イフェクター類も処分。
たぶんマルチが1台あれば済む。
どうせ録音したらどれがどれかわからない。
本もそう。
レコードもそう。
Doc Watsonのフォークウェイズ盤とか、
そばに置いておきたいのだけど、処分する。
そうしないと私が居なくなった時に大変だろうから。

それでできることをやろう。
やれることが限られればできるだろう、きっと

9/18/2025

ビオラは何をやってるの?

 というYouTubeチェンネルがあった。
これが非常に面白い。
オーケストラの音と共にビオラのパートを弾いているらしい。
だいたいバイオリンやホルンやオーボエやホルンやフルートなどと
比較すると主旋律ではなく、だいたいがハモのパートを弾いている。
それがスコアーも一緒に見れるのでどこをどう弾いているかがわかる。
思うのは、これって弾いてて面白いのかなあ?
ということ。
ほとんど和音の構成音を弾いてる。
たぶんめったに主旋律を弾くことはない。
縁の下のなんとかかもしれないけど、
なんか地味だな。
ずっとこれっていやにならないかな?



車輪のパラドックス

 なぜかこれがYouTubeで出て来て見てしまった。
深く考えずに見てしまうと、「ああ、なるほど」と思ってしまう。
「確かに、同じ距離動いてるよね」
これはかなり深刻にはまり込んでしまう問題だ。
昔の学者がこれにはまってしまったのもうなづける。
たぶん模型を作ってゆっくり眺めればわかるのか?
いやわからないだろう。
このパラドックスは内側の円が回転と同時に
水平移動しているということに気がつかないと
永遠にはまり込んでしまう。
ちょっと面白い話だった。


9/17/2025

メモリア

 という映画を観た。
ものすごく静かな映画だ。
音も言葉もギリギリにしか聞こえない。

主人公(女性)が「ドン」という謎の音の幻聴になやんでいる。
それが何であるかを探して歩くのがストーリーだ。
最後にその音が何であるのかがわかるのだけど、
意外にもSFめいた話だった。

だけど面白いシーンがいくつかあった。
巨大なコンソールのあるスタジオでの音の実験シーンとか
自分が記憶していると思っていた夢が
実は他の人の記憶だったとか。
とても面白い。

だけど言葉が少ない。
音はあるけれどすごく静かだ。
最後まで静かな映画だった。

でもなぜかちょっと感動した。


9/15/2025

最近よく見る夢は

 妻がどこかに行ってしまう夢。
あるいはどこかで一度別れるのだけど、そのあと見つからない。
携帯で連絡しようにも携帯が使えない。
探し回っているうちにとんでもなく遠いところまで行ってしまう。
家に帰ろうにも「家」がどこなのかわからない。
横浜なのか横須賀なのか三鷹なのか?わからない。
夢から覚めると家にいるとわかって安心する。

子供の頃見た夢を覚えているだろうか?
小さな頃のは覚えていないかな。
5歳くらいの時の夢かほんとかわからない夢は
前に書いたように思う。
座敷の方で寝ているとふすまの隙間から居間が見えて
だれか子供がおもちゃの汽車で遊んでいた。
あれは夢なのか本当だったのかわからない。

高校生くらいに見た夢は覚えている。
受験の時で頭がおかしくなっていた時期だ。
金縛りにあった。
その頃は金縛りがどういうものなのかわからなくて
とても怖かった。
頭の中でキーーンという音が鳴り続いていて
ガラスが割れる音が聞こえた
それが終わると横になったまま体が浮いた
そして茶の間の方にそのまま浮かんで行って
外に出た
屋根よりも少し低いくらいのところにいて
母が縁側で洗濯物を干していた。
母の白い割烹着を覚えている。

同じ場所の夢をもう一度見ている
確か30歳かそこらだった。
夢の中でまた縁側で母が洗濯物を干していた。
私がそこに行くと
「あら起きてたの?」と母が言った。
「起きてるよ」と私が言う。
「学校に行くんでしょう?」と母が言う。
私は、そうだ!まだ学生だったんだ。
とほっとする。
でも目が覚める
そういう夢だった






9/13/2025

みんなどこかに行ってしまう

 最近特にそう思う。
歳下も歳上もどんどん行ってしまう。
どうすんの?これ
稲垣足穂が歳を取り始めてから
「しまった!もっと早く会っておくんだった!」
と少年たちが歳をとるのを嘆いたことよりも
もっとずっとずっと悲しむべきレベルで時間が流れてしまう。
50歳くらいのころは「ああ、あの人が逝ってしまったなあ」
くらいにしか思わなかったのだが、
いよいよ自分の番が近くなってきた
あるいは先の方で人生が崖のように落ち込んでいるのが
見えてきたように思う。
悲しんでいる時間さえも無いかもしれない
とはいうものの日々にやらなければいけないことがあるので
それを片付けているうちに一日が終わってしまう。
考えてみると30歳の頃からずっとそれだった。
「よし!仕事はやめて自分のことをしよう!」
なんて思っただろうか?
そんなこと考える暇もなかったように思う。
だからあっと言う間だったんだ。
それでも自分の歌とか演奏とか少しは残せた
YouTubeがそれを消さない限り残るだろう、きっと。
残ったからどうなんだ? というのはあるけどね。
文豪のように作品が未来に渡って残るわけじゃない。
いや、未来に残ってどうなんだ?
という疑問はあるけれど、
何も残らずこの世からきれいさっぱり居なくなる
というのも寂しい気がする。
少なくとも今この瞬間にはそう思う。
死んでしまったらそれすら意味が無いかもしれない。

インターネットの5チャンネルあたりで良く見る
「死んだらどうなる?」という書き込みだけど、
たいてい「それは無だ!」と言うやつが現れて終わる。
だけどそこで「無だ」と言ってる事には
死後の世界を想定してそこには何もない、という意味で言ってる
と思う。つまり一応死後の世界はあることを前提にしているように思える。
だけど死後の世界というのは自分だけ居なくなった今の世界が
ずっと続いて行くという意味だ。
自分には死後のせかいだけど他の人には今まで通り続いてい行く
生きている世界だ。
死後の世界はあるか?と言えば何の疑問もなく在ると言うしかない。
死後であるのは自分いとってだけだ、
他の人にとっては今まで通り生きている世界なのだから。
とても寂しい(笑)








喜びも悲しみも

 幾年月
という映画はリアルタイムで見たことを思い出した。

私は父の手を握っていた。
映画館はとても混んでいたように思う。
何も見えなかったから。
あれは4歳の時だと思う。
映画の画面とはか全く覚えていないけれど
壮大な音楽の感じは覚えている

9/09/2025

いや違う、未知との遭遇のことを書こうと思ってたんだ

 「未知との遭遇」のあの5つの音だけど、
あれは天才的だね。
ジョン・ウイリアムズが死ぬ気で考えたのだと思う。
そして今あの映画はあの5つの音のためにあるように思う。
いや、あの映画はあの5つの音の映画だと思う。
一度聴いたら忘れないメロディーだ。

誰か(外国人)が書いていたあの音についての解説を読んだけれど、
シューベルトの「魔王」の旋律に似てるとか、リヒャルト・ストラウスの
「ばらの騎士」に似ているとか言ってるけど
5つの音なんだから、どこかの何かに「似ている」というのは
確率的に絶対あるでしょう。
そういうことじゃなくて、ジョン・ウイリアムズが3音と4音を
オクターブ降下させたこととか天才的だと思う。
オクターブ飛び上がるメロディーというのはいくらでもある。
ドヴォルザークの「母の教えたまいし歌」なんか有名だけど、
いくらでもある。
でもジョン・ウイリアムスのあのオクターブはすごく効果的だ。
特にシンセサイザーで弾いた時に効果を発揮する。

最初の「レ」は次の「ミ」の音で消えてしまうけど
3つ目の「ド」と次のオクターブ下の「ド」と
最後の「ソ」は単純かつ普遍的な「ドミソ」の和音だ。
だけどこのオクターブ下の「ド」が無いとかなり陳腐だ。
そういう意味で天才的だと思う。






9/08/2025

手塚治虫とやなせたかし

 あんな風に二人で徹夜で仕事している所を見ていたら
泣けてきた。
そういう時があったな、と思い出す。
まっちゃんと一緒に夜明けまで仕事したことがあった。
あるいは神津さんと一緒に次の日の昼まで一緒にプログラムを
組んだことがあった。
だいたい何もしゃべらない。
たまに冗談を言うくらい。
その感じがあのテレビではよく出ていた。
ほんとに手塚とやなせたかしがあんな風にやっていたかは知らない。
だけどそれはそれでいい。

徹夜明けの朝の感じを時々思い出す。
決して気持ちいいわけじゃない。
あの感じ。

徹夜で運転して朝日の中を走るのもそうだ。
あの感じ。





9/06/2025

America S&G

 どうでもいいんだけど、
いや自分だって昔はそうだったから、まあいいんだけど
一度気になったらどうしても気になってしまう。

Let us be lovers we'll marry our fortunes together

どうして「結婚しよう」という訳になってしまうのか?
まだ友達同士あるいは恋人どうしなのに
バスに乗ろうっていう時に「結婚しよう」なんて言うわけ無いだろう!
ほとんどの人が「結婚しよう」という訳を書いている、
あるいは歌っている。
ある人に至っては親切にもカンマを付けている。
Let us be lovers, we'll marry our fortunes together
おう!そしたらその後のour fortunes togetherはどうするの?

英語の和訳全般に言えることだけれど、
何か英語には日本人にはわからない特殊な物があると思い込んでる。
だからこういう訳になってしまう。
じゃあ、日本人二人のバス旅だったら最初になんて言うだろう?
とは考えない。
ここにmarryがあるから、とりえず「結婚」だ、としてしまう。

何だったかなあ?他にもそういうのがあってどうしても我慢できなかったから
言ってやったら怒った。
怒るだろうね、知らない人から文句つけられたら。
今はほら翻訳とかやってくれるのがあるから、それでやってしまうと
こうなってしまう。
GPTでやるとどうなるかは知らない。
誰かやってみて、、

それじゃあ、さっきバス乗り場で話したばかりの彼女と、
いや、ああ、もう少し付き合った彼女だったとしても、
席を隣同士にして座ったらなんていうだろう?最初に
「よろしく、恋人同士になって結婚しよう!」なんて絶対に言わない。

この歌だって冗談で「恋人同士になろう!」とは言っているけど、
「結婚しよう」なんて言ってない。
この歌の会話は彼が言っているジョークなんだ。
後の方にも出て来るけど「スパイ」の話もね。

ちょっと待って!じゃあその後の

I've got some real estate here in my bag.

はなんて訳してるんだろう?
   ある人訳:「本物の不動産がこのバッグの中に入ってる」
   別のある人訳:「ある不動産がこのバッグに入ってる」
だいたいこんな訳だ。
バッグに入る不動産って何?

まあそんな感じだね。
さっきのカンマ打っちゃってる人、
どうしてもそこで切りたかったんだろうね。
そうしないと”結婚しよう”にならないから。

「僕らの幸運を一緒にしよう」とか「運命を共にしよう」(硬いな)
とかいう訳にはならなかったんだろうね。



9/05/2025

神保町

 昨日、神保町に行ってきた。
リソグラフの画集を持って行って売ってきた。
本は大きくてすごく重い。
本屋を2、3件回ったらもう嫌になった。
15年以上前だと10万円で引き取ってくれるところがあったけれど、
さすがに今はインターネットで同じものが大量に出ているから
値段は10分の1以下だ。
一番高い金額で行ってくれたところに置いて来た。
7千円だった。
まあ、外装が少し傷んでいたからしょうがないし、
それより重いので早く解放されたかった。

また地下鉄に乗って座ったら、妙に満たされた気分だった。
希望金額には全然至らなかったのに、
それで考えてみたら持って行った本屋のおじさんと
話をしたことを思い出していた。
本の話やネットで売られている本のことなど、
3人3様に話をした。
昨日まで人と(男の大人)話すのは久しぶりだった。
どうもその話ができたことで満足できたらしい。
立ち話ではあったけれど、いろいろ話ができた。
それはとても有意義だった。

前に神保町に行ったのはいつだったか思い出せない。
たぶん10年は行ってない。
行く用事が無い。
お茶の水から靖国通りの前までは何度も行った。
楽器屋には何度も行ったから。
だけど靖国通りは越えていなかった。

車で行こうか迷ったけどやめた。
それでしょうがなく思い本を抱えて行った。
ああ、そうだ、すごく暑かった。



9/03/2025

今度はパラの事故2件

 この一週間にパラグライダーの2つの死亡事故。
その前のソアラーの死亡事故を入れると3回続けてだ。
これまでもグライダー関係の事故は続いて起きることが多かった。

最初のパラは山沈したらしい。
13時間も木の上にいたとか。
ハングもパラも山沈(山に落ちる)、ツリーラン(木にランディング)は
普通にあったけれど、死亡事故は無かったように思う。
私の友人も5,6時間誰も気がつかずに自分で木からおりてきた人がいた。
でも仲間と一緒だったら「そういえばあいついないな」と気がつくはず。
それに13時間くらい木の上に居ても死ぬことは無い。
たぶん怪我していたのだろう。
降ろすときにそんなに焦った様子が無いので
出血ではなくどこかを打ったのだろう、きっと。

今日の事故は海に落ちた。
詳細がわからないがモーター・パラのタンデムフライトだったようだ。
モーター・パラがどうして? と思う。
見た人によると回転しながら落ちたらしい。
スパイラルダイブに陥ってしまったようだ。
問題は落ちたのが海だったということだ。
モーター・パラだから二人とも機体にハーネスごと固定されていたと思う。
そのまま海に落ちたら機体(エンジン)と一緒に沈んでしまう。
だから海や湖の近くで飛ぶときはナイフを持って飛ぶ必要がある。
ハーネスを切り離さないと泳ぐことも浮くこともできないから。
今日のパイロットの人はどうだったのだろう?
パイロットもだけどタンデムで乗っていた女性のお客さんは災難だった。
さっきのニュースでは亡くなったとは言っていなかった。
心肺停止だとか。
生還するといいのだけど。

9/01/2025

グライダーの墜落

 というニュースが今日あった。
映像を見るとすごい壊れ方だ。
このグライダーと言ってるのはソアラーだ。
大きなやつ。
それが完全にばらばらになっている。
どういう落ち方をしたのだろう?
滑空したいたならあんな壊れ方はしない。
あれはとても急な角度で落ちたようだ。

場所は利根川。
ウルトラライトプレーンとかの飛行場がある。
スカイダイビングの着地場所もある。
その川淵の草原の中みたいだ。

まだ20代の女性だったようだ。
焦ったであろうと思うといたたまれない。
だいたいソアラーって何か安全装置があるんだろうか?
まったく知らないけど、聴いたこともない。

ハングはパイロットが操縦不能になったら
手を離せば機体が勝手に水平になってどこかに着地する。
機体が壊れてもだいたいグルグル回りながらゆっくり落ちて来る。
あるいは緊急パラシュートを広げればゆっくり降りて来る。
その他の事故は大体パイロットが何かやってしまったせいだ。

だけどソアラーはパラシュートを備えているのだろうか?
体を守る装備があるのだろうか?

今調べたらパラシュートを装備するのは競技大会の時だけらしい。
通常は装備しないらしい。

何か非常の場合の装置が欲しい。