12/18/2014

量子と現実についてまた考えてみた

それじゃあ、ミクロのところで量子的に振舞っている量子たちの上に成り立っている
この現実は何なんだ?ということにならないだろうか。
根本的なところがそんな状態なのだから、現実もあやしいものだと思う。
トンネル効果によって人間がこの眼で確認できているのに液体窒素は壁を登って来るし、
半導体にしたって実用的なレベルでトンネル効果が利用されている。

そうなると簡単に「量子の世界」とか言ってられないんじゃないかと思う。
たとえば、ここに宝くじが一枚あるとする。
これが当たっているかどうかはいつ決まるのだろう?

1.くじを買った時に決まっている。
2.抽選会場で矢がささった時に決まる。
3.その結果がラジオ、テレビ、ネットで公表された時に決まる。
4.自分がくじの番号をそれと照合した時に決まる。

1は運命論だろうか。
2で矢がささっても自分がその結果を知らなければ当たったかどうかわからない。
3も自分の知らないところで発表されていても自分のくじが当たってるとは言えない。
結局、自分がくじを見ながら番号を照合した瞬間に当たりが決まるような気がする。
つまり当たっているかどうかは、途中はどうでもよく、自分が確認した時点で決まる。

それは量子論とは別次元の話だけれど、よくそういうことを考える。

世の中には「超能力」というものがあるとか無いとか。
あるいは霊魂が存在するとかしないとか。
予知とかテレパシーとか。
本当は存在しているかもしれない。
テレポテーションなんかも実現できるのかもしれない。でもそれが量子テレポテーションの
応用でできるかどうかはわからない。
もっと別な方法だろうなと思う。