12/11/2014

量子とスリットと確率と猫について考えてみた

学校で量子化学というのを習ったはずなのだが、その表紙をめくったところから最後まで
全く覚えていることがない。覚えているのは先生の名前が星教授という名前だったことだけだ。

電子(あるいは光子)のスリット問題について考えてみた。
概要は省略。2本のスリットに何度も単体の電子を撃ち込んだ時干渉模様が現れることだ。
電子は波と粒子の両方の性格を持っているとか言うけれど、
そんなことで理解できるわけもない。

それで、ちょっとシュレディンガーの波動方程式について読んでいたら、
それがどういうことなのかわかるような気がした。
気がした、というのは感覚的にそんなことはあたりまえなんじゃないか
と思えたという意味で。

波動関数の自乗が確率を示すということは、電子は確率として存在しているということなんだろう。
つまり確率自体が電子の存在そのものなのだと思った。
一つのスリットを電子が通る時、もうひとつのスリットを通る電子の確率と干渉している
からだろう。左右にスリットがある場合左のスリットを電子が通る確率と右のスリットを
通る確率が干渉しているから干渉模様が現れるのだろう。

どちらのスリットを通ったかを確認しながら電子を撃つと干渉模様が現れないのは
なぜかというと、「どちらを通ったかを確認」してしまったら、それは確率ではなくなってしまう
からだ。
これはあたりまえのことではないだろうか。

猫の問題は、アルファ線が出るかどうかを検出しようとした時点で、問題の意味を失っている。
確認するまではアルファー線は出ている状態であり出ていない状態なのだろうけれど、
猫は死んだ状態と生きた状態のどちらでもある、ということはない。
EPRパラドックスの話も、電子の存在が確率だと考えればあたりまえのことだと思う。