5/30/2016

札幌1975・ 2016・バイク (2)


札幌到着の日は午前中雨だった。ちょうど着いた頃に止んだようだ。
雨雲に突っ込んで行く時の景色が好きだ。
機体はがたがたと揺れ始めるけれど、柔らかい雲の中に埋もれて行く感じが好きだ。

次の日はまた札幌から千歳に戻った。
今回千歳には4回行くことになってしまった。

千歳のオリックス・レンタカーのカウンターでレンタルバイクの連絡バスを申し込む。
なぜか最初、カウンターの女性に英語で話しかけられた。
たぶん東南アジアの人に見えたのだろう。
今回が初めてではなかった。

バスはほとんど中国人だった。
オリックスのレンタカーショップについて皆レンタカーのカウンターに向かっていたが、
私だけレンタルバイクのカウンターに向かう。
そこでヘルメットを借りて、その他手続きをしてバイクをチェックする。
大きなのはいやだったので、250のアメリカンを予約していたが、バイクは思ったより大きかった。
たぶん400と同じ大きさだ。
しかも重い。


ショップの人が写真を撮ってくれた。
これは以前も同じ系列のレンタルショップで借りたことがあるけれど、初めてだった。
バイクはYAMAHAのDS250。
形は古風だけど機器類はちゃんとしてる。
座ってみると十分低い。
セルを回すと低めのサウンドが気持ちいい。
しかしこれはシングルではない。
「行ってきます!」とショップの人に言って、
シフトペダルを蹴り下ろす。
ゴツンという振動。
クラッチをつなぐと意外に緩やかな発進だった。
でも、いつものころだけれど、走り始めはアチコチにふらつく。
坑道に出てアクセルを吹かすと、あの腰を押される気もち良い加速感。
サイドミラーを直し、やっとここでメーター類は何があるのかわかった。
ウィンカーもリセットが付いている。今はみんなそうなのだろうか。

脇道から6車線の道路に出る。
ただただ、気もちいい。

千歳駅前で左折する。
この道は昔はこんなじゃなかった。
昔はビルなど無かった。

しばらく走って高速をくぐるとあとは昔のままの森林を抜ける道だ。
この道は起伏があって、真冬はいい気になって走っていると凍結で止まらなくなる。
当然だけれど、ハンドルに固定したカメラでは振動がすごい。

支笏湖に近づくにつれて気温が下がってくる。
支笏湖に着いた時にはもうすっかり冷えてしまっていた。

しかし行きたいのは恵庭岳の方の湖岸。そこまで大した距離ではないのだけど、とにかく寒かった。
やっと向こう側にたどり着いた時には死ぬかと思うくらい。
なにせバイク用のジャケットが夏用だったので風よけにはならない。
そこのお店(もう100回近く行っているはずなのに一度も入ったことがなかった)に入って
暖かいウドンを食べた。
普段だったら特に美味しいとは思わない観光地のウドンだったけれど、その時は
とても美味しかった。とにかく温まった。

そこからオコタンペへ行こうと思い、山を登って行ったけれど、オコタンへの分岐点が
通行止めになっていた。崖崩れだったようだ。
しかたなくモーラップの方へ行くことにした。
そのころには太陽も出てきて少し寒さが和らいでいた。

途中の樽前山の向かい側の駐車スペースに停めて写真を撮っていたら、停まっていた観光バスの
運転手ともう一人、男の人が声をかけてきた。
話してみるとその一人はついこの前まで横浜にいたそうだ。
そこから千歳へお客を乗せに行くそうだった。

275号に出て、そこから湖岸を美笛の方に走った。
途中のトンネルがまた非常に寒かった。
二つ目のトンネルで折り返して戻ることにした。
途中キャンプ場の方への脇道に入って行きどまりまで走った。


そこの森がとてもきれいだった。
地面はコケや草で覆われていて、湿地のように見えた。でもたぶん乾いていたのだろう。

バイクを返すにはまだ早かったけれど、千歳空港に戻ることにした。
暗くなってから帰るのは不安だったから。
千歳の街に出るとさすがに車が多い。幹線道路は大型トラックが頻繁に走っている。
そういう道を走るのは久しぶりだった。
とても緊張した。
でも無事に空港に戻ってバイクを返すことができた。
バイクは3年ぶり。その前は30年ぶりだった。

5/29/2016

札幌1975・ 2016・バイク (1)

札幌に行ってきた。
その後何度か行っているが、一人で行くのは20年ぶりくらいだ。
最初の目的はバイクに乗りことだった。
予定していた日は雨だったので1日延期だ。

そうなるとどこへ行こうということになる。
まず道庁だ。
あのアイヌ地名の大きな地図をもう一度見てみたかった。

道庁の入り口の職員に「あの地図はどこだったでしょう?」と聞いたが、知らなかった。
それで上の階に行って各部屋を調べた。
無かった。
そこの職員に「あの地図はどこだったでしょう?」と聞いたが、知らなかった。
「もうあの展示はやめたのでしょうか?」と聞いた。
すると「そうですねえ、私も覚えていないくらいですから…」と言う。
そうか残念だ。と思った。
1階に降りた。
「そうだ1階にも何か展示があったなあ」と思って、廊下の奥に行った。
左手の部屋に入った時に、大きな地図があった。
「なんだあるじゃないか」と思った。
道庁職員はちゃんと仕事するように。

そこから西28丁目に向かった。



たぶん昔から変わっていないのはこの景色だけではないだろうか。
店の名前が微妙に変わっているけれど、「東急ストアー」があった場所だ。
この正面の景色はほとんど変わっていない。


東急ストアーから西に少し行くと斜めに入る道がある。
この道がアパートまで続いていた道だ。
その入り口のところ、昔はガソリンスタンドだった。ここでいつも洗車し、ガソリンを入れていた。
今思い出した。現金ではなく月締めでお金を払っていた。綴り伝票があったように思う。
その道を入ると一度クランクがあって緩い坂を上って行く。
そのクランクになっているところに昔は民家があってその塀に美しい蔦が這っていた。
秋になると真っ赤になった。


確かずっと前のこのブログに雪道の写真を載せたけれど、この先の電柱のあたりに、
「バードマンション宮の森」とかかれた看板があった。

この道を突き当りまで行くと右側に郵便局とスギハラさんと呼んでいたスーパーがあった。
そのスパーはまだあった。

このお店がそのまま残っているのは驚きだ。
なぜなら札幌の当時のものはほぼ無くなっているからだ。
このお店は全く昔のままだ。
アパートからすぐなのでここでよく買い物をした。

そこから南に出ると北一条の通りに出る。
記憶では北一条からアパートの方に曲がるのは神宮の鳥居の手前だったように思ったけれど、
実際は鳥居を過ぎてからだ。

そこから神宮の方に入り、公園に抜ける。
そのまま大通り20丁目まで歩くのが車を使わない時の通勤ルートだった。


公園の中は冬は雪に覆われていて、人の歩く道が一本だけ通っていた。
そこを行くと大通りの西の終点の場所に出る。

ここは道路もきれいになって全く別の場所の感じがする。
そこを東に少し戻るとバスターミナルがある。
その向かい側に円山ブロードハイツというマンションがあるが、そこは当時社長が部屋をもっていて、オーディオのリスニングルームにしていた。
よくそこに行って音を聞いた。
そこの窓から写真を撮ったりした。
それもどこかにアップした。雪の中の道を写したものだ。


部屋のカーテンを深いブルーにした。
カーテンを閉めても太陽の光で部屋はブルー一色になった。

そこから北に中通を歩くと西28丁目の地下鉄駅に戻る。

そのちょうど突き当りのところにアパートがあって、友達が住んでいた。
その前に車を停めて友達を待っていた。
ちょうどこの場所。

たぶん同じ場所の40年前。


宮の森を一周した。