物理学者が時間は存在しないと言ったことについて、それに反論する意見が多いようだ。
私も時間は存在しないというようなことをちょっと前にここに書いたけれど、
たぶんその真意を理解していないのだと思う。
記述された歴史や地層に残された化石は過去の存在を証明するわけではなく、
それは現在に存在しているだけだ。
時間は歴史年表のように過去から未来に存在しているわけではない。
時間と言えるのは、それを時間と言えればの話だが、今のこの一瞬だけだ。
時間は音楽に似ている。
ある曲を演奏する時、頭の中には曲の始まりから終わりまで頭の中では想像できる。
しかし、演奏中はその曲というのは、今出ている音だけだ。
音波で見ればサイン波のどこかの一点に過ぎない。
自分も聞いている人もそこまで演奏された音の流れを覚えているから
その曲がどういう曲かわかる。
しかし、1小節前の音はもう無いし、1小節後の音もまだ存在しない。
あるのは瞬間の音だけだ。
それは時間にとても似ているように思う。
それでは物理法則の公式にある時間項はいったいどういうふうに関係しているのだろう。
と考えると、時間はそのまま時間項の中に存在しているのだろう。ただし、時間は映画の
フィルムのように過去から未来に連続した映像のようには存在しない。
たぶん公式の中の時間項を負にした時、あたかも時間が戻ったように公式が成立するのは
公式の中だけの話なのだろう。
それでは時間項が正の場合は?と考えると、時間が正であってもそれはその時間における
運動の予測であって未来ではない。
たぶん、そんな風な意味で物理学者は時間は存在しない、と言っているのだろう。